みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画「ビジランテ」についてお話していこうと思います。
田舎の独特の閉塞感と鈍い痛みが印象的な暴力を見事に閉じ込めた作品だったと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までよろしくお願いいたします。
目次
『ビジランテ』
あらすじ・概要
「22年目の告白 私が殺人犯です」「SR サイタマノラッパー」シリーズの入江悠監督によるオリジナル脚本作品。
大森南朋、鈴木浩介、桐谷健太の主演で、入江監督の地元である埼玉県深谷を舞台に地方都市特有の暗部を描いていく。
高校時代に行方をくらました長男の一郎、市議会議員を務める次男の二郎、デリヘルの雇われ店長をしている三男の三郎。三兄弟はまったく世界の異なるそれぞれの道を生きてきた。
兄弟の父親が亡くなり、失踪していた一郎が30年ぶりに突然帰ってきたことにより、三兄弟の運命が交じり合い、欲望や野心、プライドがぶつかり合う中で、三兄弟を取り巻く事態は凄惨な方向へと動いていく。
大森、鈴木、桐谷がそれぞれ長男、次男、三男を演じるほか、篠田麻里子が次男の妻役で出演。
(映画com.より引用)
予告編
『ビジランテ』感想・解説(ネタバレあり)
ビジランテの意味とは?
ビジランテという言葉が本作のタイトルになっておりますが、この言葉の意味を皆さんはご存知でしょうか?
ビジランテという言葉には、自警団員や私的制裁を加える人という意味があるそうです。
アメリカンコミックのヒーローを思い出していただけると分かりやすいのですが、ヒーローは自分で刑罰を加えずに、捕らえる助けをして刑の執行は警察に委ねます。
一方でビジランテは、捕らえるだけにとどまらず、刑の執行までも自分でしてしまう人物であるわけです。
本作には、ビジランテを思わせる人物がたくさん登場しましたね。このタイトルの意味を知っておくと、作品をスムーズに理解できるかと思います。
映画「ビジランテ」が捉えた暴力の本質
(C)2017「ビジランテ」製作委員会 映画「ビジランテ」予告編より引用
暴力の本質とは何かということを考えてみますと、おそらくそれは古来から不変なんですよね。
「目には目を、歯には歯を」。これが古来より人類に通底する暴力の本質です。
本作「ビジランテ」における暴力は常にそれが根底に据えられています。それが特に表れていたのが、市が運営する見守り隊(自警団)と街に住む在日中国人たちとの抗争ですよね。
自警団が在日中国人たちの生活権益を脅かすやいなや、彼らも石のパチンコで自警団に所属する若者の1人を失明に追いやります。するとその報復として失明させられた自警団の若者は彼らの集合住居に火をつけます。
映画はここで終わってしまいましたが、この暴力の連鎖は止まらないでしょう。
在日中国人たちの生き残りの日本人に対する憎しみが増し、それが新たな暴力を生むことになるからです。
暴力というものは、「目には目を歯には歯を」の論理を根底に孕みながら、永遠に終わらない負の連鎖を生み出してしまうのです。
これは、現代社会におけるテロリズムの機運の高まりにも関連していることと言えると思います。劇中の埼玉の片田舎で起こっていた住民と在日中国人たちとの抗争はまさに世界中でテロ組織を生んでいる土壌に近いものがあると思います。
これはヨーロッパや北米の国内で居住している非イスラム過激派メンバーが、その過激な思想に共鳴して、国内で類似的なテロ事件を引き起こすことを指しています。
例えば、映画「パトリオット・デイ」で描かれたボストンマラソン爆弾テロ事件はこの「ホームグロウン・テロリズム」に該当します。
この「ホームグロウン・テロリズム」は、移民の子孫つまり移民二世が自国の社会にうまく適応することができず、その負の感情が自国への敵対意識として表出してしまうことが原因と言われています。
テロリズムの機運の高まりは世界的に移民や難民の排斥を助長しています。この傾向がアメリカ大統領選挙でのドナルド・トランプの当選やドイツでの右翼政党の台頭、イギリスのEU離脱表明といった形で顕著に表れています。
しかし、この傾向が間違いなく逆効果となって、テロリズムを加速させているんですね。
イスラム教を信仰する人は世界中に多く存在しますが、その中でも過激派と呼ばれる人たちはほんのごく一部です。ただ、テロ事件の多発のために、イスラム教を信仰している人々が全員テロリスト予備軍であるかのように見られ、国単位、都市単位、街単位、地域のコミュニティ単位で虐げられる事態が発生しています。
フランスでは、その傾向が顕著です。学校という教育の場で移民二世は疎外感をうける事態となっています。
パリ郊外に居住する移民とその子孫たちは、社会的に疎外されているだけでなくフランス国家に敵意を抱いています。移民とその子孫らがゲットーを形成して、フランス表社会と断交する事例すら発生しています。
この土壌がまさしく「ホームグロウン・テロリズム」の温床なのです。テロ事件が生じ、それが移民や難民への国内での風当たりを強くし、新たなテロ事件を引き起こしてしまうんですね。これは完全に負の連鎖です。
映画「ビジランテ」に登場したあの片田舎で起こっていた地元住民と在日中国人の抗争は、今まさに世界のあちこちで起こっているテロ事件にもかかわりが深い事象なのです。
抗えない血の宿命
(C)2017「ビジランテ」製作委員会 映画「ビジランテ」予告編より引用
映画「ビジランテ」を見て、真っ先に思い出したのは夭折の作家、伊藤計劃の「セカイ、蛮族、ぼく」という短編です。
この短編は、なんとわずか7ページしかないのです。しかし、一度読むと脳に焼き付いて離れない、ショッキングな内容です。その書き出しが衝撃的なのです。
「遅刻遅刻遅刻ぅ~」と甲高い声で叫ぶその口で同時に食パンをくわえた器用な女の子が、勢いよく曲がり角から飛び出してきてぼくにぶつかって激しく転倒したので犯した。
(伊藤計劃「セカイ、蛮族、ぼく。」より引用)
主人公がなぜ突然ぶつかった女の子を犯したのかというと、それは彼が蛮族、マルコマンニ人だからでした。
理由はそれだけです。ただ興味深いのは、彼はそんな自分の行動を深く嫌悪しているんですね。
「気に障る異民族は犯すか殺すか奪うに限るな」
父さんはそう言ってガハハと下品な笑い声をあげる。ぼくの気持ちにはおかまいなしだーマルコマンニに生まれたことを心の底から嫌悪している、この僕の心には。
(伊藤計劃「セカイ、蛮族、ぼく。」より引用)
彼は自分の中に流れる父親の血を、蛮族の血を嫌悪しているんですね。しかし、彼は同級生を突発的に犯してしまいます。つまり血の宿命には、逆らうことができないんです。
自分がどんなに抵抗しようとしても、どんなに嫌悪感を持っていても、自分の中に流れる血は無意識の領域で自分の行動規範となっているのです。だからこそ「ぼく」は蛮族であることを嫌悪しながら、蛮族らしく振る舞ってしまうのです。
菅田将暉主演の映画「共喰い」なんかもまさしくこの「血の宿命」に逆らえない男の物語ですよね。
性行為の際に女性に暴力的なふるまいをしなければ、興奮しない父親の姿を見て、強い嫌悪感を感じながら、自身も全く同じ性質であることを悟り、暴力へと堕ちていきます。
本作でも最低の父親、武雄の3人の息子は彼に対して強い嫌悪感を抱いています。しかし、それぞれに憎むべき父親の影を背負っているんですね。
(C)2017「ビジランテ」製作委員会 映画「ビジランテ」予告編より引用
一郎は父親の暴力的な性質を背負っています。
その暴力性を抑えようとしていますが、ふとした時にそれが発言してしまいます。
それがためにパートナーの女性に暴力を振るったり、デリヘルをレイプしたりしてしまいます。
冒頭の三郎が実家を覗くシーンで、一郎の姿が父親に重なっていましたが、まさしく一郎は父親の影を纏っています。
(C)2017「ビジランテ」製作委員会 映画「ビジランテ」予告編より引用
二郎は父親の政治家としての性質を背負っています。
人見知りで気弱な性質が祟ってはいますが、目的の達成のためならどんなに汚いことも容認しています。自分の妻が上司に抱かれることも受け入れています。
彼には、政治家としての良心もあると思いますし、父親のように汚い政治家になることを嫌悪していると思います。しかし、それをどこかで拒めないのです。
(C)2017「ビジランテ」製作委員会 映画「ビジランテ」予告編より引用
三郎は裏社会との関わりという点で父親の性質を背負っているのでしょう。
作中の口ぶりから父親も政治家として暴力団等との関わりを持っていたことは間違いないでしょう。三郎は、それを良しとしないながらも仕事して受け入れ、デリヘルの雇われ店長を務めています。
3兄弟はそれぞれ父親に対して激しい嫌悪感と憎しみを持っているのですが、その血の運命に逆らうことができないのです。どれだけ意識の上で遠ざけようとしても、無意識下で父親の影響を受け続けているわけです。
3兄弟は何を守ろうとしたのか?
本作において3兄弟は、暴力が支配する闇の世界へと身を落としていくことになります。しかし、彼らは間違いなく何かを守ろうとしたのです。
彼らは何を守ろうとしたのか?その答えは「家族」なのです。
一郎は死ぬ直前に父親に会い、遺産相続の権利を手に入れていました。
そして先祖由来の土地だけは何としても守り抜こうとします。これも彼が守ろうとした「家族」の1つです。その土地を巡って、本作では政治や闇社会が兄弟に介入してくることになります。
長男として先祖代々受け継がれてきた土地を守ろうというところに彼の守りたい「家族」があるのです。
二郎は政治家で、何とかして父親が持っていた土地を手に入れて、大型アウトレットモール開発に貢献しようとしています。三兄弟の中で唯一の既婚者であることも重要です。
(C)2017「ビジランテ」製作委員会 映画「ビジランテ」予告編より引用
彼が守ろうとした「家族」というのは、彼の妻とそしてその子供なんだと思います。
それは終盤のシーンで明確になりました。二郎は、窮地に陥り、助けを求めに来た三郎を突き放し、自分は政治家として火事現場へと向かいます。
これは妻と子供を養う政治家としての決断でしょう。
さらには、ラストの演説のシーンで一郎の死を悟り涙を流しますが、妻と子供の姿を見て涙を堪えて演説をやり遂げます。
三郎は裏社会とのつながりを持っていて、デリヘルの店長を務めています。かつての母親の命日に父の首をナイフで刺した張本人でもあります。
(C)2017「ビジランテ」製作委員会 映画「ビジランテ」予告編より引用
彼が守ろうとした「家族」はデリヘルで働く女の子たちだったんだと思います。
一郎が自分の店のスタッフをレイプした際には、家に乗り組み一郎に殴りかかりました。
そしてその子が去る際には、食卓を共に囲み、餞別を渡していました。デリヘルの女の子たちが暴力団に連れ去られて、コンテナに閉じ込められた際も彼は奮闘しました。
彼らはそれぞれに「家族」を守るために戦っていたのです。
そして終盤で、その3兄弟が守ろうとした「家族」が一瞬交錯します。
彼らが守ろうとした「家族」というのは、結局のところ兄弟なんですよね。
(C)2017「ビジランテ」製作委員会 映画「ビジランテ」予告編より引用
母親の命日に父親の首を刺したのは、三郎でした。
しかし、一郎はそのナイフが入った缶ケースを持って川を渡り、それを土に埋めようとしました。さらには、兄弟が尋問に遭うと、逃亡し自分がその汚名を被ったのでした。
暴力団が家にやって来て、三郎と共に窮地に陥ると、一郎はナイフで攻勢に出て三郎を救おうとしました。ラストシーンで三郎は一郎を射殺した暴力団に向かってナイフを突き立て、一郎の仇を討とうとしました。
二郎は、念願だった父親の土地の相続が決まったにも関わらず、その実行委員会発足の演説で涙を堪えきれなくなりました。
一郎の「靴を脱げ」という言葉は、兄弟がかつて暮らした生活拠点に土足でズカズカと入ってくる人間が許せなかったのではないでしょうか?
3兄弟は、それぞれに守るべき「家族」を持っていました。しかし、その一方で兄弟という父親の血を分けた家族を同じくらい大切に思っていたのです。
3兄弟が守ろうとしたのはどこまでも「家族」なのです。いろいろな捉え方はできますが、最終的にはこの言葉に集約できると思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ビジランテ』についてお話してきました。
いやはや今年のベスト映画をそろそろ選出していく時期なのですが、またまた上位争いを過激化させる作品に出会ってしまいました。
現代の世界に蔓延る暴力の連鎖という負の円環を、埼玉の片田舎で起こるノワール劇に落とし込んだ点はまず素晴らしかったです。
そして兄弟たちがそれぞれ「家族」を守るために戦い、その身を闇の中に落としていく様が印象的でした。
暴力、暴力、暴力。ひたすらに暴力が支配する街燈の当たらない夜の闇。兄弟を待ち受けていた究極の結末にただただ唖然とするばかりでした。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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