はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですねドラマ「anone」の第5話についてお話していこうと思います。
良かったら最後までお付き合いください。
あらすじ・概要
林田亜乃音(田中裕子)はその日、自宅1階の廃業した印刷工場の床下で、大量の1万円札の束を見つけ…。一方、通称“ハズレ”こと辻沢ハリカ(広瀬すず)は、清掃のアルバイトをしながら同年代の美空(北村優衣)と有紗(碓井玲菜)と共にネットカフェに寝泊まりしている少女。スマホのチャットゲームの中でだけ会える闘病中の“カノン”さん(清水尋也)と日々の他愛ない会話を交わすのが楽しみだ。ある日、友人とのドライブ中に札束の入ったバッグが捨てられているのを見たという有紗の記憶を頼りに、 ハリカたちは「柘」という町を目指すことに。「つげ」は、かつてハリカが祖母(倍賞美津子)と暮らした 幸せな記憶のある町の名前で…。一方、医者から半年の余命宣告を受け店を畳もうとしていたカレー屋店主・持本舵(阿部サダヲ)は、の客・青羽るい子(小林聡美)と意気投合し、二人で死に場所を探す旅に出ていた。カレー屋のワゴンで二人が流れ着いたのは柘という町。捨てられた大金がきっかけとなって、出会うはずのない人たちの運命の糸が引かれようとしていた。
(ドラマ「anone」公式サイトより引用)
解説:「家族」のカタチなんて後から決めれば良い
©Nippon Television Network Corporation ドラマ「anone」最新映像より引用
家族の定義とは何だろうか?とふと考えてみる。社会学者の森本清美さんは「家族とは『夫婦関係を基礎として、親子・兄弟など近親者を主要な構成員とする、感情融合に支えられた、第1次的な福祉追求の集団である。」と定義している。
ただこれは1967年の著書の中で書かれた記述だ。今や「家族」の在り方、定義というものは極めて多様化し、複雑化している。もはや従来の定義を現代の「家族」に当てはめることは難しい。離婚率の増加、母子家庭や父子家庭の顕在化、男女の役割の変化に伴う家庭の変容、「家族」のカタチは大きく変化してきたのだ。
星野源が「Family Song」という楽曲をリリースしたが、彼はこの曲に関して以下のように述べている。今の日本の「家族」というものをまさに包み込んでくれるような発言である。
「例えば、友達や仕事仲間も『ファミリー』って言ったりするじゃないですか。広い意味で、これからの時代に向けての『ファミリー』なんです。あと例えば、両親が同性同士の家族だったりするのも、これからどんどん増えてくると思うんですよね。そういう家族も含めた、懐の大きな曲を作りたいなと思って作りました。」
「家族」というものが夫婦関係、つまり法的なプロセスを経て結ばれた関係であること、血縁関係で結ばれた関係であること。これらはもはや現代の「家族」の定義としては不適格になりつつあるのかもしれない。
とりわけ映画の中でも従来の家族定義に縛られない「疑似家族」を題材にした作品が世に送り出されてきた。
ウェス・アンダーソン監督の「ライフアクアティック」は老いぼれた海洋探検家(海洋ドキュメンタリー監督)と突然現れた若者の疑似親子関係を基軸として「疑似家族」の血の通った交流を描いている。
ハリウッド大作映画の「ワイルドスピード」シリーズも強い絆で結ばれた「ファミリー」を主軸に据えて、「疑似家族」のようにお互いに支え合い、共闘する関係性を描いている。
参考:【ネタバレ感想】『ワイルドスピード8 アイスブレイク』:涙が止まらないシリーズ最高傑作だ!!
血縁関係や法的な手続き以上のものが「家族」をカタチづくることがもはやあり得るという話である。そんな「家族」の新しいカタチを本作「anone」は模索しようとしている。
©Nippon Television Network Corporation ドラマ「anone」最新映像より引用
「ここはもう行くところじゃないからね。ここはもうハリカちゃんが帰るところだからね。布団並べて寝てるでしょ。今度からはもう『行く』じゃなくて『帰る』って言いなさい。」
一緒にご飯を食べて、一緒に布団を並べて寝て、一緒に笑い合って。数日前までは「見知らぬ他人」だった誰かとでさえ「家族」になることができるのかもしれない。心に抱えた傷をお互いに癒し合う、お互いに居場所と救いを求めあうような不思議な関係を「家族」とい呼べるのかもしれない。
ドラマ「anone」が提示する「家族」のカタチはもはや従来の定義の型にはめることは不可能である。なぜなら彼らには血縁関係も法的な結びつきもないからだ。
それでも一緒に暮らすささやかながらも不思議な時間が彼らを「家族」としてカタチづくっていくのだ。家族でなくとも「家族」ように過ごすこと。
日常の何気ない出来事を共有すること。一緒にいて安心すること。一緒に暮らすこと。とんかつを同じ食卓で食べること。それだけでもう「家族」になれるのかもしれない。
そして本作がもう1つ提示するのは、心的な結びつきとしての「家族」である。それは「何もできなくても傍にいてあげること」にによっての結びつきである。
彦星くんの血縁的な繋がりのある実の家族は、彼が肺炎で集中治療室にいるにも関わらず、予約があるからとレストランへ食事をしに行ってしまうのだ。血縁関係によって結びついた実の家族は、「何もできないと傍にいてくれない」のだ。
一方で、ハリカは彦星とは何の関係もない赤の他人である。そしてハリカも彼が苦しんでいた時に、食事をしていた。それでもハリカは彼の容体急変を察して病院に駆け付けた。しかし、「何もできない」からと諦めて去るしかなかった。
そんなハリカに亜乃音が告げる。「何もできなくても傍にいてあげなさい。」
ハリカは病院の窓の見える公園で夜を明かした。彼の容体が回復したことを確認して彼女は涙を零す。「何もできなくても傍にいてあげた」ハリカはもはや実の家族よりも「家族」と言えるのかもしれない。
©Nippon Television Network Corporation ドラマ「anone」最新映像より引用
彦星はハリカの働くパン屋に行き、そこに明日も行こうと思ったという夢を見たと言う。これもまた彼がハリカを「家族」のように感じている証拠なのかもしれない。馴染みのない場所であっても、何度もそこに「行く」ことでいつしかそこが「帰る」場所になる。それが「家」であり、そこには「家族」が生まれるのだ。
確かにかつてあったことがあると言えど、現在のハリカと彦星には面識がない。それでも彼らには心的な結びつきがある。そして確かにその関係性は強まっている。この2人は会ってもいないが、徐々に「家族」になっているのかもしれない。
現代において「家族」の在り方とは決まったものではなく、後からカタチを付与していくものになりつつある。ドラマ「anone」が提示しているのは、そんな「家族」の在り方のほんの一例に過ぎない。
だが従来の定義に適合する家族よりも、本作が描く「家族」は魅力的に見える。その不思議な魅力こそがこのドラマの持つ魅力に直結しているようにも感じられる。
おわりに
いよいよドラマ「anone」も折り返し地点ですね。
第4話の記事で本作が描く不思議な愛情関係について触れましたが、今回の第5話ではそれが発展して「疑似家族」としての人と人の結びつきを描いていましたね。
ドラマ放送前から「疑似家族」が本作の肝になるようなイントロが公開されていましたが、ここでようやく本筋に入ってきたという感じでしょうか?
瑛太演じる中瀬古に関する情報も第5話でかなり明るみに出ましたし、今後の展開も楽しみですね。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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