みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」についてお話していこうと思います。
PAWORKS×岡田磨里脚本は、個人的にも鉄板だと思っていて、『true tears』も『花咲くいろは』も大好きです。
それだけに期待値もかなり高い作品だったのですが、本作はそれを見事に超えてきました。
今回は「感情」を全面に押し出した内容になるかもしれませんが、作品について綴っていきます。
記事の都合上ネタバレを一部含む内容がございます。ネタバレに触れる際は、改めて表記させていただきますので、お気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『さよならの朝に約束の花をかざろう』
あらすじ・概要
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」などで知られる脚本家の岡田麿里が初監督を務めたオリジナルの長編アニメーション映画。
10代半ばで外見の成長が止まり、数百年生き続けることから「別れの一族」と呼ばれるイオルフの民の少女マキアと、歳月を重ねて大人へと成長していく孤独な少年エリアルの絆の物語が描かれる。
人里離れた土地で、ヒビオルと呼ばれる布を織りながら静かに暮らすイオルフの民の少女マキア。ある日、イオルフの長寿の血を求め、レナトと呼ばれる獣にまたがるメザーテ軍が攻め込んできたことから、マキアとイオルフの民の平穏な日々は崩壊する。
親友や思いを寄せていた少年、そして帰る場所を失ったマキアは森をさまよい、そこで親を亡くしたばかりの孤児の赤ん坊を見つける。
やがて時は流れ、赤ん坊だったエリアルは少年へと成長していくが、マキアは少女の姿のままで……。
(映画com.より引用)
まず触れておきたいのは、監督であり脚本を務められた岡田磨里さんですね。彼女のこれまで手掛けた作品を見れば、彼女の実力に疑いの余地が無いことは明白でしょう。
アニメ映画ですと岡田磨里さんが脚本を務めた「心が叫びたがってるんだ。」がアニメファンのみならず、映画ファンからも高い評価を獲得しました。
テレビアニメシリーズとして有名なのが「とらドラ」や「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」という作品ですね。特に「あの花」はオリジナル作品で、名作と名高い一作です。
今回はP.A.WORKSと岡田磨里さんのタッグになりましたが、これは実は初めてではないんです。
P.A.WORKSが初めて手掛けたテレビアニメ「true tears」で岡田磨里さんは脚本を担当されました。この作品は、知る人ぞ知る名作として今も語り継がれています。
その後「花咲くいろは」や「凪のあすから」といった作品でも岡田磨里さんは脚本を担当されています。つまりP.A.WORKSと岡田磨里さんというのは、黄金コンビであるわけです。他にも「CANAAN」という作品にも脚本として参加されています。
岡田磨里さんが今回監督に初挑戦されたのは、自身が脚本段階で思い描いたイメージを直接作画を担当するアニメーターに伝えながら、作品を製作したいという思いからだったそうです。その取り組みの一さんとして彼女は本格的な作画が始まる前に声優陣による台本の読み合わせを行ったそうです。これによって作画に声優の声のイメージを反映させることが出来たそうです。
スタッフとして注目したいのが東地和生さんですね。彼は本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」で美術監督努めています。彼は「凪のあすから」で美術を担当したことでも知られていて、CG技術を駆使した圧倒的美しさを誇る背景美術で有名です。
他にも「凪のあすから」や「クロムクロ」といったP.A.WORKS作品でキャラクターデザインを務めてこられた石井百合子さんが参加されています。
彼女はキャラクターデザインだけでなく、総作画監督として本作に携わり、各カットの表情にこだわったと言います。P.A.WORKS屈指のアニメーターが描く心情を映した珠玉の表情の数々を堪能してください。
予告編
キャラクター紹介
今回は物語に大きく関係してくる8人のキャラクターを紹介しておこうと思います。
マキア
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
本作の主人公であるイオルフの少女です。大人しく内気な性格ですが、物語が進むにつれて強い女性へと成長していきます。家族がおらず、村長と一緒に暮らしています。
村がメザーテ軍の攻撃を受けた時、偶然その場逃げ出して、森の中をさまよっていた時に赤ちゃんを拾い、エリアルと名付けます。
1人の女性として、エリアルの母として、イオルフの少女として激動の中を生きる彼女の姿から目が離せません。
本作でマキア役を演じた石見舞菜香さんですが、そのボイスアクトは傑出していましたね。
岡田磨里さんが仰っていましたが、彼女はキャラクターに感情移入して、演技をしながら号泣してしまうようなピュアな人だそうで、監督やスタッフ陣も彼女の演技を見ながら、思わずもらい泣きしてしまうこともあったみたいです。
個人的に注目してほしいと感じたのが、涙を堪える演技ですね。心からキャラクターになりきって声を吹き込んでいるんだという様子が伺えて、思わず鳥肌が立ちます。
エリアル
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
賊に襲われて、両親が亡くなってしまいますが、その母親が命を懸けて守り抜いた子供です。
冷たくなった母親の手の中に抱えられていたところをマキアに助けられ、育てられます。大きくなったらマキアを守れるようになることを目標にしています。
レイリア
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
マキアの親友のイオルフの少女。男勝りでお転婆な性格で、マキアとは対照的。イオルフの青年クリムに思いを寄せていますが、メザーテ軍が村を攻撃した際にさらわれてしまいます。
クリム
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
マキアの友人で、彼女が思いを寄せるイオルフの青年。穏やかで包容力のある性格。マキアの思いの一方で、彼はレイリアに恋心を抱いていて、相思相愛。
メザーテにレイリアをさらわれたことで、徐々にその内面に変調をきたしていきます。
ミド
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
エリアルを拾ったマキアが最初に身を寄せることとなった農場の女主人。
2人の息子を育てていて、マキアが母としての生き方を考える大きな指針となります。かつて暴走したレナトに夫を殺され、今は女手一つで息子を育てています。
ラング
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
農場の主人ミドの息子で、エリアルの兄貴的存在です。
成長してからは、マキアの力になりたいとたびたび手を差し伸べます。正義感と責任感が強い人物です。
ディタ
エリアルの幼馴染の少女。マキア一筋なエリアルに淡い恋心を抱き、マキアへの嫉妬心から彼に酷いことを言ってしまい、そのことを深く後悔しています。
イゾル
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
メザーテの将軍で、イオルフの村を攻撃した際にレイリアを連れ去った張本人。
国に忠誠を誓う岸でありながら、レイリアの心身を案じ、忠誠心と正義感の間に揺れる男。
「さよ朝」重要用語解説
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
本編を見る上で、あらかじめ知っておくと本作の世界観に入りやすいであろう重要単語をいくつか解説しておこうと思います。
イオルフ
人里離れた村で、ヒビオルという布を織りながら生活している民族。男性も女性も10歳半ばで外見的な成長が止まり、その寿命は数百年と言われています。
その特質から「別れの一族」と呼称され、人々からは生ける伝説と見なされています。外見としては金色の髪が特徴なようです。
ヒビオル
イオルフだけが織ることのできる特殊な布で、人間の世界では高価で取引されています。イオルフたちはその布に、自分の日々の出来事を綴り、日記のように扱っています。
その縦糸は「流れゆく月日」を、横糸は「人の生業」を表現すると言われています。
メザーテ
レナトと呼ばれるドラゴンのような生物の力でもって近隣国を支配下に置く大国。
その支配力と影響力がとある事情のために弱まることを懸念し、数百年の寿命を持つイオルフの血を求め、村を攻撃します。
レナト
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
外見はドラゴンに似た古代生物。圧倒的な戦闘力を誇り、メザーテが近隣国を支配する原動力ともなっています。
しかし、赤目病と呼ばれる暴走症状が出始め、その個体数が減少しています。
『さよならの朝に約束の花をかざろう』感想・解説・考察(ネタバレあり)
”さよ朝”はP.A.WORKSと岡田磨里が贈る究極のアンサームービーだ
鑑賞直後は興奮しまくりで、ツイートの方も誤字を連発しております。
ただこの言葉通りで、「さよならの朝に約束の花をかざろう」という作品は、まさにP.A.WORKSと岡田磨里がこれまで作り上げた作品に対するアンサームービーであり、アニメの存在意義についてのアンサームービーでもあると思うんです。
それだけの熱量とパワーが込められた作品です。
まず先ほども紹介しましたが、岡田磨里さんとP.A.WORKSのタッグはいわゆる黄金コンビなんです。
そして彼女が脚本として参加し、P.A.WORKSと共に制作した作品が「true tears」「CANAAN」「花咲くいろは」になるわけです。
本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」という作品はこれらの作品で紡がれた思いにまさしく呼応する形で描かれているP.A.WORKSと岡田磨里による集大成なのです。
何も見てない私の瞳から‥本当に涙なんて流れるのかしら
好きなものを好きでいられなくなるってきついよな。
失ったものがあって、手に入れたものがあって、そしてまた失って。求めて求めて、走って・・・また手に入れて・・・。
この街で、出会った人たちを忘れない。忘れない・・・。この街で、目にした出来事を忘れない。この街で、感じた想いを忘れない・・・忘れない。
居場所ってさもともとそこにあるもんじゃないんだなって・・・。自分で見つけて自分で作ってくもんだなって。
負けられっか・・・クソババア。
(C)2012 花いろ旅館組合
好きは海と似ている・・・。楽しさや、愛しさだけじゃない。悲しさも苦しさも、いろんなものを抱きしめて、そこから新しい想いが生まれる・・・。
(C)Project-118/凪のあすから製作委員会
そう、ダメじゃない。好きな気持ちはダメじゃない。
これまでの作品が紡いできた言葉に、テーマにそっと寄り添い、答えを提示する本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」はまさに究極のアンサームービーなのです。
これまでの作品で数々のキャラクターたちが紡ぎ出してきた言葉を1枚のヒビオルに織り込んで、その全てが「ダメじゃない。」と肯定しているわけです。
「愛して、よかった。」
その一言は、本作におけるマキアの心情を表しただけのものではなりません。これまでの全てのP.A.WORKS&岡田磨里作品に対する優しい肯定です。ぜひその思いを劇場で受け取って欲しいと思います。
そして最初にも述べたように、本作はアニメの存在意義についてのアンサームービーでもあると思います。
近年、クールごとに制作されるアニメの本数も以前とは比較にならないほど増加しています。これが何を意味しているのかと言うと、アニメの寿命が短くなっているということです。
次々に新しい作品が鑑賞しきれないほどに登場するために、我々はどんどんと新しい作品を求めるようになり、放送が終わった瞬間からその作品についての記憶を風化させ始めます。アニメが消化されるスピードは速くなってしまったわけです。
そんな現代のアニメ事情の中で、アニメはどうやって人の心の中に残っていけるのだろうか?という問いに対して、P.A.WORKSと岡田磨里さんが紡いだ1つの答えがこの「さよならの朝に約束の花をかざろう」という作品だと私は考えています。
確かにアニメ作品そのものは、時間が経てばたつほどに人々の心から忘れ去られていきます。しかし、そのアニメが紡いだ言葉や思いまでもが消えていくわけではないと思うんです。どんなアニメにも必ずそれを愛する人がいます。作品が紡いだ言葉や思いは我々のヒビオルを織る糸になるのです。そうして人の心の中に残り続ける、これがアニメ過剰供給時代に、アニメが追求すべき存在意義なのです。
様々な作品との出会いと別れを繰り返して、それでも人の心に残り続ける何かを生み出せるかどうかがアニメが生き残る道なのです。
「大丈夫。絶対に忘れないから。」
絶対に忘れられない言葉を、思いをアニメ言語というメディアを通じて、世に送り出していくんだというP.A.WORKSと岡田磨里さんの強い決意の表れのようにも感じられる作品でした。
「別れの一族」が「別れと出会う一族」になるまでの物語
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
人里を離れ、布を織って暮らす彼らはこう呼ばれていた。別れの一族と。
イオルフたちは「別れの一族」と呼ばれていました。それは彼らが数百年の寿命を持ち、数々の人間と別れを繰り返すことからつけられた異名だと思います。そんな彼らの村には村長のラシーヌが発した一つの掟があります。
外の世界で出会いに触れたなら、誰も愛してはいけない。愛すれば本当の1人になってしまう。
これは、人間とイオルフのあまりにもかけ離れた寿命から来る掟でしょう。愛して寄り添って生きようにもイオルフは少年少女のまま姿は変わりません。
しかし人間は老いていきます。またどんな愛したとしても愛する人は絶対に自分より先に死んでしまう。その別れを見届けなければならないのです。
外の世界で、誰も愛さなければ1人だと知ることは無い。
しかし、誰かを愛してしまえば、誰かと共に生きる温もりをしってしまえば、それを失った時の感覚を、孤独という感覚を知ってしまうということです。
だからこそイオルフは誰も愛してはいけないわけです。
彼らの姿は少年少女のままで老いることはありません。人間は老いることで自分が生きた証をその身に刻み込んでいきます。刻み込まれたしわの1つ1つが生きた証なのです。しかし、イオルフにはそれがありません。だからこそ彼らはヒビオルに、自らの生きた証を刻み込むのです。
自分たちの世界を作り、人間と離れて暮らすことで「愛を失う孤独」から隔離され、自分たちだけの記憶をヒビオルに織り込んでいるわけです。
そんな村で暮らしていた少女マキアは、メザーテ軍の襲撃に遭い、人間が暮らす外の世界に飛び出すします。
そしてそこで人間の赤ちゃんを育てることになります。それがエリアルでした。
私のヒビオルです。
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
マキアはエリアルを初めて見た時、こう言いました。エリアルは「私のヒビオル」だと。
エリアルとマキアは共に暮らしていく中で、本当の親子のような関係になります。いつしかマキアは母親としてエリアルを愛してしまうようになります。
「誰も愛してはいけない。」という村長の言葉が脳裏をよぎります。それでも激動の時代の中で、成長し行くエリアルを母としてマキアは愛し続けます。
そうして迎える感動のフィナーレ。
愛して、よかった。
その言葉を聞いた時あなたは涙を堪えることが出来ないでしょう。
愛することはダメじゃない。愛した人を自分のヒビオルに刻むことで、その人を失ってもずっと一緒にいることができます。別れを繰り返すことは、孤独じゃないんです。
誰かの人生を自分のヒビオルに刻み、自分の人生を誰かのヒビオルに刻む。そうして「別れとの出会い」を数百年の生涯の中で繰り返す。それがイオルフという民族なのだとマキアは知ります。
本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」は「別れの一族」が「別れと出会う一族」になるまでの物語です。少女がその答えを知る感動のラストシーンをぜひ劇場でご覧ください。
*ここからは記事の内容の都合上ネタバレを含みます。
*ここからは記事の内容の都合上ネタバレを含みます。
信じるべきものは自分の記録、記憶。
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
岡田磨里さんが舞台挨拶で非常に興味深いことを仰っていました。
本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」には宗教の概念が登場しないのです。
その代わりにイオルフたちはヒビオルを大切にしていますし、人間たちは伝説上の生き物であるレナトを神格化し、さらにはイオルフをも神格化します。
宗教という概念はありませんが、この世界にも確かに自分の外部にある何かを神格化して信じるという行為は存在しているようです。キリスト教やイスラム教もいわば、神やイエスの伝説や記録を信仰する宗教です。
本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」の世界に宗教が存在していないのは、本作がそういった記録や伝説への信仰ではなく、自分を信じて生きていこうという力強いメッセージを訴えかけようとしているからなんだと思います。
冒頭のメザーテ軍がイオルフの村を襲撃した際に、レナトがイオルフという民族の記録たるヒビオルを破壊してしまいます。そしてその後レナトの死と共に、そのヒビオルは焼け落ちていきます。
イオルフは彼らが信じてきた、大切なものを失ったのです。
さらには、終盤のシーンで、マキアとレイリアがメザーテの国からレナトに乗って去っていきます。これは人間の世界から伝説として崇められてきた存在が去っていくことを可視化しています。
つまり本作が描いているのは、信じるべきは伝説や記録なんかじゃなくて、自分自身だ!!という力強いテーマなのです。
母性本能説の否定
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
日本において「母性」という言葉が登場したのは、大正の頃だったそうです。
スウェーデン語のmoderskapという単語の訳語として「母性」という言葉が使われるようになりました。
母性という言葉の意味を調べると「女性特有の、いかにも母らしい性質。女性に備わっている、子供を生み育てる資質。」という意味が出てきます。
また医学の世界では「子供を産み育てるために備わった特性。ないしその特性を持ったものの総称。」と位置付けられているそうです。
「母性」という言葉はしばしば女性の子供を身籠ることができるという特性に関連付けられ、女性にある種の先天的な本能として備わっているものと考えられてきた節があります。
しかし、現代社会においてその考え方はもはや通用しなくなってきています。
というよりもかなり前からこの考え方は否定されていたのです。明治時代初期の日本には、「間引き」と称した子捨て・子殺しが存在していたという文献がありますし、西欧でも母親の育児無関心や幼児虐待がかつてより存在していたことが文献に残されているそうです。
さらに現代では、女性の社会進出や女性による子殺しが話題に挙げられ、「母性の喪失」だと言われることもしばしばです。
そもそも「母性の喪失」という表現が女性に本能的かつ先天的に母性が備わっているという前提から来ているものですが、その前提自体がもはや通用しないことは明確なのです。
本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」では、母と子の関係がとりわけ印象的に描かれています。特に注目したいのがマキア、ミド、そしてレイリアですね。
まずミドについて触れていきます。
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
彼女は一見ステレオタイプ的な母親像に見えるのですが、彼女の男勝りな母親像は間違いなく先天的に備わっていたものではありません。
夫の死、自分だけで農場を維持していかなければならない、子供たちにご飯を食べさせていかなければいけないという使命感が後天的に彼女の中に「母性」を形作ったのです。
次にレイリアですね。
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
彼女はメザーテ軍に拉致されて、その王子との間に望まぬ子を孕ませられました。つまり母になるという意志もないままに、形式上母になってしまったわけです。
さらには、レイリアは隔離され、娘のメドメルに会うことを許されませんでした。
しかし、その会えない時間が彼女の中に「母性」のような感覚を育んだのです。
「会いたい。」「一緒に過ごしたい。」そんな思いが彼女を後天的に母親たらしめたわけです。
終盤のシーンで、レイリアがメドメルに、ヒビオルの綻びをただすようにお互いの存在を忘れましょうと問いかけますよね。
このシーンってレイリアがメドメルを捨てたわけではないんだと思うんです。
彼女は村長ラシーヌの誰も愛してはいけないという掟を守ることが、メドメルの幸せになるだろうと考えたのでしょう。
イオルフという異質な存在である自分が母親であることで、メドメルの生きる障害になるだろうと。彼女と一緒にいることを諦めるという決断もレイリアなりの「母性」からくるものだと思うんです。
最後はマキアです。彼女は本作の母性本能説否定の方向性を最も体現する人物です。
というのもエリアルは彼女にとって自分が胎を痛めて産んだ子供ではありません。それでも彼女はエリアルの母親になろうとしました。
そしていつしか本物の親子のように愛情を注ぐ関係性となります。
母性とは、女性が先天的に備えているものでは無いのです。ましてや本能でもありません。誰かを心の底から大切に思う気持ちが時間をかけて、子供との関わりの中で育むものだと思うんです。
本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」は3人の「母親」を印象的に登場させることで、我々の社会に根強く残る母性本能説に異議を唱えているように感じました。
親離れに伴う居場所への欲求
そしてもう1つ印象的に描かれたのが、エリアルの親離れと居場所の獲得物語でした。
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
乳幼児期の子供の愛着の中心にいるのが母親であることは、疑いようがありません。
エリアルにとってもそうでした。マキア「お母さん」と呼び、慕っていましたし、彼女の笑顔を見ることが何よりの幸せであり、それを守ることが自分の使命だと疑って止めませんでした。
しかし、成長して思春期・青年期に差し掛かるとそういった心理状況に明確な変化が起きることになります。
特に本作「さよならの朝に約束の花をかざろう」では人間に起こると言われる第一次・第二次的離乳(心理的離乳)を印象的に描いているように感じました。
心理的離乳のことを一般的に「親離れ」と認識します。
一次的離乳とは思春期頃に訪れると言われていて、親への反抗や抵抗という形で表出して、親からの離脱・逸脱の方向性へと働きます。つまり「親から自立したい」という思いが芽生え始める時期なのです。
「さよならの朝に約束の花をかざろう」の中でもエリアルのそんな葛藤が印象的に描かれていました。
彼は母マキアが自分のために何でもしてくれることがかえって自分の情けなさを浮き彫りにしてしまうようで、その優しさを素直に受け入れられなくなって行きました。
そして彼はメザーテの兵士になることで、母親からの離脱を明確にし、一人の男として自立した人間になろうと決意したわけですね。
さらに青年期に突入すると訪れるのは、第二次的離乳です。
ここでは、一人の人間としての自立の方向性へと動いていくのですが、その過程で親への認識が変化していきます。親を親としてだけではなく、一人の人間として客観的に見るようになり、親との関係性を改める中でこれまでとは違った形で絆を獲得するということが言われています。
これは本作終盤のエリアルの心情ですよね。彼はディタという女性と結婚し、子を設けることで自分の居場所を作り出し、マキアから自立していきました。
そして彼はマキアを母としてだけでなく、1人の女性として客観視できるようになり、彼女への尊敬と自分に教えてくれたものを改めて認識し始めます。
「人を愛する心」を教えてくれたマキアにエリアルが感謝を告げるシーンはまさにそんな第二次的離乳の表れとも言えます。
人は成長するにつれて、母親からの離脱を志向し、自立を目指します。そして自分が1人の人間として自立する中で、母親との関係性を見直し、これまでとは違った形で再構成するのです。これを「親離れ」と呼ぶんだと私は考えています。
母になろうとしたマキア。彼女を愛するエリアル。
その関係性が季節の、時代の中で少しずつ変化していき、その絆は少しずつ強まっていきました。人を愛し、その人との居場所を守ることの大切さと尊さを教えてくれたマキアとそれを受け継いだエリアル。
「母性」の誕生。子供の成長と親との関係性の変化。
本作が描いた親子の物語はファンタジーでありながら、どんな現代劇よりもリアリティを孕んだものに見えました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」についてお話してきました。
P.A.WORKS作品が大好きで、ここまで追いかけてきた自分ですが、本作が最高傑作だ!!と言い切っても良いような気がします。
それくらいに「さよならの朝に約束の花をかざろう」という作品が持っているパワーは凄まじいです。
(C)PROJECT MAQUIA 映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」予告編より引用
特にあのラストシーンはもう涙が溢れて、溢れて止まりませんでした。マキアだけじゃない。これまでのP.A.WORKS×岡田磨里作品で紡がれてきたたくさんのキャラクターたちの言葉が思いが全て肯定され、「永遠」へと昇華していくかのようで、本当に美しいシーンでした。
最後に触れたいのは、岡田磨里さんらしさが健在だったということですね。
徐々に「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」のゆきあつへと化していくクリム。
異民族を誘拐して、妊娠させるというゲスすぎる展開。
岡田磨里さんが舞台挨拶で、現代劇だと生々し過ぎて嫌悪感を感じてしまうような描写もファンタジーの中だと不思議と自然に見れると仰っていたんですが、さすがにクセが強いです(笑)。
最後になりましたが、この作品が一人でも多くの方のヒビオルに刻まれることを一ファンとして陰ながら応援しております。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
関連記事
今年ほぼ同時期に公開された山田尚子監督の映画『リズと青い鳥』の記事はこちらからどうぞ!!この記事の中でも『さよならの朝に約束の花を飾ろう』について言及しています。
また今年公開された同じく「母親」という存在についても問うた是枝監督の映画『万引き家族』の解説記事は以下のリンクからお読みいただけます。