目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね「グレイテストショーマン」についてお話していこうと思います。
いやはや素晴らしい映画でしたよ。
もっとも崇高な芸術とは人を幸せにすることだ。by P.T.バーナム
まさに「グレイテストショーマン」という映画はこの言葉通りで、見る人すべてを幸せにしてくれる映画でした・・・・・なんていうと思いましたか?
私はこういうブログをやっている人間ですから、あくまで映画を批評的な視点で見ていこうというスタンスですからね!!
こういう楽しけりゃいいだろ!!みたいな映画は看過できないわけです!!
全く許しがたい駄作ですよ!!
本当に・・・全くです・・・。
全く許せませんよ・・・。
こんな酷い映画は久しぶりに見ましたょ・・・。
OH,OH,OH~♪ This is me~♪
おいそのメロディはなんだ!!
それだけ酷評しておいて、Mサイズのドリンクを飲み干して、エンドロールで尿意と格闘していたにもかかわらず、スクリーンを出て真っ先にトイレ・・・ではなく映画館の売店に駆け込み、映画「グレイテストショーマン」のサントラを購入し、あまりの多幸感から尿意を忘れ、帰りの電車で再び襲ってきた尿意と格闘しながらも、なんとか家に辿りつき、またしてもトイレに行くよりも先にパソコンにサントラCDをぶち込み、トラック7の”This is me”を聞いているところではあるまいな?
そ、そんなわけがないだろ??
あれだけ酷評した映画のサントラに税込み2138円も払うはずがないだろ?見る前にちょっと話題作になりそうだし、ここは1つ酷評してやろうなんて思ったり、映画を見終わってすぐに2回目を見たいと思ったり、あまりの鑑賞後の多幸感からほとんど無意識的にサントラを購入していたとかそんなことがあるわけがないんだよ!!
じゃあお前が隠し持ってるそれはなんだよ!?
こ、これは・・・。
お前さ・・・もう素直になれよ・・・。本当は「グレイテストショーマン」が好きで好きで仕方がねえんだろ??
そうだよ!!たったの2時間弱で法隆寺建てられちゃうよ!!って気分だったよ!!
俺は、あれだけ酷評しておいて、Mサイズのドリンクを飲み干して、エンドロールで尿意と格闘していたにもかかわらず、スクリーンを出て真っ先にトイレ・・・ではなく映画館の売店に駆け込み、映画「グレイテストショーマン」のサントラを購入し、あまりの多幸感から尿意を忘れ、帰りの電車で再び襲ってきた尿意と格闘しながらも、なんとか家に辿りつき、またしてもトイレに行くよりも先にパソコンにサントラCDをぶち込み、トラック7の”This is me”を聞いていたんだよ!!
なんなら自宅で”This is me”を聞きながら、ちょっと漏らしたよ!!
でもいいんだよ!!「これが自分だから!!」
お後がよろしいようで・・・。
えー長々と当ブログ管理人の茶番にお付き合いいただきありがとうございました。
とりあえず音楽聞けよ!!
私は正直あんまり「ララランド」が好きではなかったんです。まあブログやTwitterを見てくださっていた方はご存知かもしれません。ただ映画としては高評価しています。
一方で本作「グレイテストショーマン」は映画として評価するならズタボロなんですが、もう圧倒的に好きなんですよね。思わず生理現象を忘れてしまうくらいの幸せな気持ちになります。
とりあえず音楽聞けよ!!
これはぜひ多くの方に見ていただきたいということで、今回はできるだけ核心に触れるネタバレをしないようにお話していこうと思います。
良かったら最後までお付き合いください。
『グレイテストショーマン』
あらすじ・概要
「レ・ミゼラブル」でも華麗な歌声を披露したヒュー・ジャックマンの主演で、「地上でもっとも偉大なショーマン」と呼ばれた19世紀アメリカの実在の興行師P・T・バーナムの半生を描いたミュージカル。
劇中で歌われるミュージカルナンバーを、「ラ・ラ・ランド」も手がけたベンジ・パセック&ジャスティン・ポールが担当した。貧しい家に生まれ育ち、幼なじみの名家の令嬢チャリティと結婚したフィニアス。妻子を幸せにするため努力と挑戦を重ねるフィニアスはやがて、さまざまな個性をもちながらも日陰に生きてきた人々を集めた誰も見たことがないショーを作り上げ、大きな成功をつかむ。しかし、そんな彼の進む先には大きな波乱が待ち受けていた。
主人公P・T・バーナムことフィニアス・テイラー・バーナムをジャックマンが演じ、バーナムのビジネスパートナーとなるフィリップ・カーライル役を「ハイスクール・ミュージカル」「ヘアスプレー」のザック・エフロン、バーナムの妻チャリティを「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のミシェル・ウィリアムズが演じる。
(映画comより引用)
予告編
『グレイテストショーマン』感想・解説(ネタバレあり)
批評家に酷評されたことで完成した映画
さて最初に映画「グレイテストショーマン」のアメリカ大手批評家レビューサイト”Rotten Tomatoes”をチェックしてみましょう。すると驚きの数値が目に飛び込んできます。
なんと批評家からの支持は約半分の「55」%なのです。
いわゆる批評家的にはあまり評価されなかった映画になってしまったわけです。そしてこの評価が祟ってか興行の出足も酷いものだったそうです。
8400万ドルの予算が投じられ、3000館規模で公開されたにも関わらず初動興行収入はわずか880万ドル。大赤字が覚悟されたと言います。
ただ、この状況って劇中のバーナムたちが置かれている状況とまさしくリンクしますよね。
彼らも批評家や富裕層から馬鹿にされ、当初はショーに客を呼び込むことが叶いませんでした。
しかし、そこから「グレイテストショーマン」はまさにグレイテストな快進撃を見せることとなります。観客から90%近い満足度を獲得すると、口コミが人気に火をつけ、公開から3か月が経とうとしていますが、その興行収入は何と1億5000万ドルに到達することが確実になりました。
まさに「映画」のような奇跡を「グレイテストショーマン」は現実の世界で起こして見せたのです。
一方で、この「奇跡」に一役買ったのが、本作を酷評した45%の批評家たちであることを忘れてはいけません。
“Rotten Tomatoes”の評価メーターは動員に大きな影響を与えます。つまり彼らがトマトを腐らせると、興行的に不利になるのは間違いないのです。
とりあえず音楽聞けよ!!
私はこの45%の批評家たちが本作を酷評したことが「まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆる」のように感じられるんですよね。
え?つまり、”いとをかし”ってことですよ。
彼らはこの「グレイテストショーマン」という映画の情緒を解しているんだと私は思います。批評家が酷評すればするほど輝く映画がこれまであったでしょうか?
とりあえず音楽聞けよ!!
批評家や知識人から酷評されながらも、逆境から這い上がって輝きを放つ。作中に登場するグレイテストショーマンたちと現実世界における映画「グレイテストショーマン」が図らずもリンクしたこの「奇跡」は忘れられません。
「グレイテストショーマン」は平場弱い漫才師みたいな映画
さて、ここで とりあえず音楽聞けよ!!
あ、すみません。話を戻しますね。
自分の印象ですが、「グレイテストショーマン」という映画は「平場弱い漫才師」みたいな映画だったんですよね。
つまり漫才は滅茶苦茶面白くて、M-1で優勝してしまうほどの実力の持ち主なんですが、トークが絶望的に下手だからいまいち売れ切らない漫才師って感じなんですよ、この映画。
とりあえず音楽聞けよ!!
音楽とダンス、つまりミュージカルシーンは素晴らしくて、とても興奮するんですが、それ以外のパートに魅力が薄すぎて、すごく1つの映画として繋がりに欠けるんですよね。テンポが悪いというよりも、テンポが奇妙なんです。
とりあえず音楽聞けよ!!
私が本作を鑑賞しているときのテンションをグラフ化してみました。
もう本当にこんな感じなんですよね。105分間ひたすらに激しいテンションの上がり下がりが とりあえず音楽聞けよ!!
あ、すみません。とにかくミュージカルパートはテンション200パーセントで見れるんですが、それ以外のパートは急激に魅力が落ちていて、30パーセントくらいのテンションで見る羽目になってしまいました。
とりあえず音楽聞けよ!!
このテンションのジェットコースター感がどんな感じなのか?ということを作品を見ていない方にもどうにかして伝えるには、 とりあえず音楽聞けよ!!
失礼いたしました。
映画「グレイテストショーマン」のジェットコースター感を映画をまだ見ていない方にも伝えるには、どうしたら良いかと考えていたのですが、勘の良い方は私が不自然なタイミングで、本作の楽曲のAmazonリンクを挿入していたことにもうお気づきですよね。
まさにこんな感じなんです。
登場人物に感情移入できるほどのドラマパートはありませんし、マイノリティたちの閉塞感打破物語として見てもあまりの描写の浅さに失望しますし、とにかく平場はテンションが上がらないんですよ。
ただ一たびミュージカルパートに突入すると、思わず強く拳を握ってスクリーンに釘づけになるんです。そして気がつくと、涙が止まらなくなるのです。
結局、何が言いたいのかと言いますと、いつも私のつまらないブログを読んでいただいてありがとうございます!!ということです。
当ブログ管理人のお気に入りは「Rewrite the Stars」
本作品には数々の素晴らしい楽曲が登場しましたが、個人的なお気に入りは圧倒的に「Rewrite the Stars」ですね。
「Star」という単語は、シンプルに和訳すると「星」なんですが、映画では「運命」という意味で用いられています。
フィリップは空中ブランコを得意とするアンと恋に落ちますが、それは身分違いの恋でした。フィリップの両親や彼の周囲の貴族たちは、彼の恋人を認めようとはせず、アンは自分が彼の隣にいるべきではない存在だと卑下しています。
そんな2人が夜のサーカスで歌うのがこの曲です。ぜh
It’s up to you(あなた次第よ)
And it’s up to me(そして私次第よ)
No one can say what we get to be(私たちの行く末なんて誰にも知り得ない)
Why don’t we rewrite the stars?(運命を描き直そう)
Changing the world to be ours(私たちの世界になるように)
恋愛は自分たち次第、自分たちの自由と分かっているのに、それを許してくれない社会。
それならば2人で世界を、運命を描き直してしまえば良いじゃないか!でもそれが出来ないことも分かっているのです。
そんなお互いに求めあいながらも、近づき、離れていく彼らの切ない思いに涙が止まりません。
またこの楽曲が使われているゼンデイヤとザックエフロンのダンスシーンも素晴らしいでした。
“A” Million Dreams ~夢を見るのは”今から”でも遅くない!~
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
本作の予告編で印象的に挿入されているのが、本作の主題歌とも言える”This is me”なのですが、本編を見ると、「グレイテストショーマン」の真の「主題歌」は”A Million Dreams”だと感じずにはいられませんでした。
‘Cause ev’ry night I lie in bed(毎晩ベッドで横になると)
The brightest colors feel my head(頭の中が輝く光で満たされ)
A million dreams are keepin’me awake(百万の夢が僕を眠りにつかせない)
I think of what the world could be(考えるのは、世界の可能性)
A vision of the one I see(僕に見えているビジョンを)
A million dreams is all it’s gonna take(叶えるには百万の夢を見ればいい)
Oh, a million dreams(そう、百万の夢を)
For the world we’re gonna make(僕らの作る世界のために)
(映画「グレイテストショーマン」:A Million Starsより引用)
冒頭に登場するこの楽曲が歌われるミュージカルパートは、「グレイテストショーマン」において最もエモーショナルなシーンだったと言っても過言ではないです。
夢を見ることを知らなかった少年時代のバーナム、チャリティへの思いが彼に夢を見せてくれるようになります。
大人になり、夢を見ることを忘れてしまったバーナム。そんな時にバーナム一家はこの歌を口ずさみ、彼は再び夢を見ることを思い出します。
夢を見るのに早いも遅いもない。今から夢を見れば良い。人はいつからだって新しく始めることができるのです。
どんなに自分を見失っても、貧困の淵に追いやられても、見捨てられても。夢を見れば、希望を持て、そして前を向いて歩んでいく事ができるのです。
バーナム、そしてチャリティと2人の娘たち、ショーに出演するスターたち、彼のショーを見に来た全ての人々。バーナムに関わった全ての人が夢を見ます。
希望と喜びに満ちた幸せな夢。バーナムが生み出すのは、まさに「百万の夢」なのです。
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
そしてこの楽曲のタイトルが”A” Million Dreamsなのも実に興味深いです。
この単数形を示す冠詞”A”はMillionにかかってきて、「百万の」という意味になっているんですが、”one million dreams”にしなかったのが何とも意味ありげなんですよね。
“one million dreams”でも同じ意味にはなるのですが、実に数字の印象が強まりますよね、ただ”a million dreams”にしておくと、「1つの」というニュアンスが強まって、何百万の夢たちがバーナムという「1人の」男から始まったというイメージが付与されるんです。
バーナムという男が作り出した「1つの」世界で、家族として、パフォーマーとして、観客として、何百万、何千万という人が夢を見るのです。それが「グレイテストショー」です。
どんな時も夢を忘れてはいけないというストレートなメッセージ性がまさに本作の根幹にあるものであり、それを象徴する楽曲として”A million dreams”が持つパワーは本作の楽曲の中でも飛び抜けていたように思います。
“This is Me”がこの映画の製作を決めた??
この動画ではレティ役のキアラ・セトルさんが映画「グレイテストショーマン」のワークショップで初めて本作の主題歌”This is Me”を披露した時の模様が映し出されています。
どうやらこの時はまだ映画「グレイテストショーマン」の製作は決定していなかったみたいなんです。しかし、キアラ・セトルさんの歌声が状況を一変させたと言います。
このセッションがきっかけで、本作のプロデューサーは彼女と握手を交わし、映画「グレイテストショーマン」の製作にゴーサインを出したということです。
*以下のパートのみネタバレ注意とさせていただきます。
偽物と本物を分かつもの
映画「グレイテストショーマン」に印象に登場するのが偽物と本物という2つのキーワードです。
偽物とは「本物ではない物、および、本物ではないという抽象概念のこと。」を指すとされています。一方の本物とは「にせ物や見かけばかりの物ではない、本当の物。」と定義されています。
この2つは相反する概念であり、決して交錯することはありません。偽物は偽物であり、本物は本物なのです。これは揺るぎません。
しかし、何を持って偽物とするのか、また本物とするのかこの部分の定義は非常に難しいです。本作では美徳と格式を重んじる演劇芸術が本物、バーナムのショーが偽物として描かれます。
そのためバーナムは、本物という考え方に囚われていきます。彼が囚われたのは、とりわけ上流階級、知識階級から見た形式上の本物です。自分が率いてきたショーが偽物であると、白旗を揚げ、ジェニーリンドの歌声こそが本物であると認識し、徹底的に成り上がろうとしました。
しかし、そこにバーナムにとっての本物なんて何一つなかったのです。彼にとっての本物は彼が偽物であると自嘲してみせたものの中にあったのです。
偽物は本物になることは確かにできません。しかし、偽物は本物を生み出すことができます。
偽物が集ったバーナムのサーカスに生まれた家族のような絆は本物です。
偽物のバーナムが妻や子供たちに与えた幸せも本物です。
偽物のサーカス団を見た観客の幸福感も本物です。
自分が偽物であると分かると、何物でもないと分かると、社会的に妥当性を保証された本物を目指すようになります。そしてそこに辿りつく過程で、ふと疑問に思うのです。これが自分にとっての本物なのだろうかと。
偽物なのか本物なのかを決めているのは確かに社会なのかもしれません。しかし、それを最終的に決めるのは自分たち自身です。
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
自分が本物だと感じたものが本物です。だからそれを信じれば良いのです。誰かが決めた本物になるのではなく、自分が思う本物になる。これが大切なのだと映画「グレイテストショーマン」は教えてくれます。
おわりに
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
いかがだったでしょうか。
今回は映画「グレイテストショーマン」についてお話してきました。
いやはやもう映画としては無茶苦茶ですよ。伝記映画としてもミュージカル映画としても、映画としてはとても高く評価できません。
ただそのミュージカルパートの圧倒的な力に見ている我々は惹きこまれ、甘美な感覚に酔いしれることとなります。
ずっと見ていたい、あの音楽に浸っていたい。そんな思いが劇場を出たあなたの財布のひもを緩め、サントラ購入へと向かわせるのです。
ここまで純粋に人を幸せにするためだけに作られた映画が他にあったでしょうか?
批評や評価じゃない、娯楽映画としての本質をここまで突き詰めた映画があったでしょうか?
100の欠点を120の好きで埋め尽くす。それが「グレイテストショーマン」という映画の持つ不思議な魅力だと思いました。
ぜひ多くの方に劇場で見ていただきたい作品です。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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