はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですねソフィアコッポラ監督の映画「ビガイルド 欲望のめざめ」 に関するトピックをお話してみようと思います。
私自身もまだコッポラ版「ビガイルド」は鑑賞しておりませんので、もちろんネタバレ抜きで話を進めていきます。
良かったら最後までお付き合いください。
スポンサードリンク
あらすじ・概要
「ロスト・イン・トランスレーション」のソフィア・コッポラが、「めぐりあう時間たち」のニコール・キッドマン、「ネオン・デーモン」のエル・ファニング、「マリー・アントワネット」のキルスティン・ダンスト、「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」のコリン・ファレルら豪華キャスト共演で撮りあげた長編監督第6作。1971年のクリント・イーストウッド主演作「白い肌の異常な夜」の原作であるトーマス・カリナンの小説「The Beguiled」を女性視点で映画化し、第70回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。南北戦争期のアメリカ南部。世間から隔絶された女子寄宿学園で暮らす7人の女たちの前に、怪我を負った北軍兵士の男が現われる。女性に対し紳士的で美しいその兵士を介抱するうちに、全員が彼に心を奪われていく。やがて情欲と危険な嫉妬に支配されるようになった女たちは、ある決断を下す。(映画com.より引用)
本作はそもそもトーマス・カリナンの小説を原作としています。
そしてクリントイーストウッド主演で邦題「白い肌の異常な夜」として一度映画化もされた作品です。
今回は女性を中心に据えた作品を数多く手がけてきたソフィアコッポラ監督がそんな「ビガイルド」のリメイクに挑戦しています。
予告編
予告編を見ていた時にふと浮かんだ疑問
みなさん良かったら上記のリンクからコッポラ版「ビガイルド 欲望のめざめ」の予告編をご覧になってみてください。
私は本作の公開に向けてクリントイーストウッド主演の「白い肌の異常な夜」を見返していたんですね。そしてそれを見終えてから、改めてコッポラ版リメイクの予告編を見ました。すると不思議な違和感があるんですよね。
ストーリー自体はおそらくほとんど同じでしょう。それもあって予告編に登場する各シーンがどんなシーンなのかは把握できます。そこから察するに大まかなストーリーは「白い肌の異常な夜」と変わりないものでしょう。
ただこの予告編を見ているとどうしても何かが欠落している気がするんですよ。それが何かと考えていた時に、はたと気がつきました。
そうなんです。この作品で唯一だった黒人のキャラクターがいなくなってるんですよ。
1971年版の「白い肌の異常な夜」には女学院の奴隷として働かされているハリーという黒人女性が登場するんです。本作が南北戦争を背景に描いた作品であることを考えると、黒人奴隷が登場することは自然な時代考証と言えます。また本作のストーリーラインを考えてみても、黒人奴隷の存在が秘かに重要な役割を果たしています。
近年ハリウッド映画界には、人種問題やポリコレがすごく影響していて、そういう配慮を映画に求める傾向が強まっています。そんなご時世に本作唯一だった黒人のキャラクターを登場させないという決断は一体どういう考えからくるものなのでしょうか?
これは既に公開されている海外でも話題になっているのではないかと思い、英語で検索をかけてみますと、案の定話題になっていました。
そこで今回は私なりにソフィアコッポラ監督が「ビガイルド 欲望のめざめ」という作品に黒人奴隷のハリーを登場させなかった理由を考えてみたいと思います。
スポンサードリンク
解説・考察:なぜソフィアコッポラ監督はハリーを排除したのか?
(C)2017 Focus Features LLC All Rights Reserved
まず本作の骨組みである南北戦争について簡単に解説を加えておきます。
これは19世紀の中ごろに起こったアメリカにおける大規模な内戦で、奴隷制の存続を支持するアメリカ南部の11州で構成されるアメリカ連合国と奴隷制の廃止を支持する北部州で構成されるアメリカ合衆国との間で起こった戦争です。
そして本作「ビガイルド」の舞台になるのは南部に属する女学院です。「白い肌の異常な夜」の中で、女学院の校長が自身の農園を復活させたいというような野望を語っているんですが、これは南部が農業中心で成立していたことにも関係している描写です。南部州は大規模な農業で繁栄しており、そのための安価な労働力として黒人奴隷が必須でした。
そういった背景があるために「白い肌の異常な夜」に登場する女学院には黒人奴隷であるハリーが使用人として使役されています。これは時代考証的に言えば、極めて史実に忠実な描写と言えます。さらに言うなれば、本作に登場するハリーは「アンクルトムの小屋」で告発されたような、酷い暮らしを強いられている様子もありません。
南部の奴隷制を描いた作品として最も有名なのは「風と共に去りぬ」だと思います。
この映画は南部の白人貴族とそこで仕える黒人奴隷の姿も描かれています。この作品でマミー役のハティ・マクダニエルが黒人初のアカデミー賞助演女優賞を獲得したことも合わせて有名です。
ただ本作は奴隷制を美化しようとしているという批判を受けることとなりました。というのも白人が親切心から黒人奴隷を保護し、労働させてあげているという構図にも取れる描き方をしているからです。つまり白人から見た都合の良い奴隷制に対する解釈が映画に反映されているのではないかという指摘を受けたわけです。
ただ「白い肌の異常な夜」に関して言うなれば、そういう類の批判を集中的に浴びている形跡はありません。というのもハリーというキャラクターのどす黒い過去が描かれていることで彼女がただならぬ思いで女学院の奴隷になっていることが示唆されているからです。
自身の恋人を校長のマーサーの兄に売り飛ばされそうになったことや自身もその兄にレイプされそうになった(もしくはレイプされた)ことがいくつかの回想シーンで明らかになっています。
つまり「白い肌の異常な夜」という作品は奴隷制の恐ろしさを描いた作品と言えるんですよね。白人のしかも女性でさえもが当たり前のように黒人奴隷を使役させ、従属させているのです。一見良い暮らしをさせていますが、自由を奪われ、残酷にも閉じ込められています。そして、逃げ出そうとしたらどうなるのか・・・描かれてはいませんが何となく想像はつきます。
実は「白い肌の異常な夜」という映画は、この女学園で庇護下に置かれることとなる主人公のマクバニー伍長の姿と黒人奴隷のハリーの姿がリンクするように描かれているんです。
昨年大きな話題になった映画「ゲットアウト」はご覧になりましたでしょうか?この映画で黒人男性の性奴隷のトピックが挙がったり、黒人の使用人が登場したりしました。こういった要素も非常に本作にリンクしています。
つまり「ビガイルド」ないし「白い肌の異常な夜」という作品は黒人奴隷制度への皮肉が込められた映画なんです。そのためハリーという唯一の黒人キャラクターが本作において重要な役割を果たすことはもはや言うまでもないでしょう。
では話をソフィアコッポラ監督版の「ビガイルド 欲望のめざめ」の方に戻していきましょう。
本作は「ビガイルド」という作品の中心とも言える黒人奴隷ハリーを排除していることが予告編や事前情報から判明しています。
そのことは既に海外でも話題になっています。そしてそれに関してソフィアコッポラ監督はインタビューの中でこのように発言したそうです。
“I feel like you can’t show everyone’s perspective in a story. I was really focused on just this one group of women who were really isolated and weren’t prepared. A lot of slaves had left at that time, so they were really— that emphasized that they were cut off from the world. [Hallie’s] story’s a really interesting story, but it’s a whole other story, so I was really focused on these women.” (BuzzFeedNewsより引用)
つまり彼女はあくまでも社会から隔絶されたところに存在する女性だけの世界に焦点を当てたかったということです。これは彼女のフィルモグラフィを見ても、納得できる主張です。
エルファニング可愛い・・・。
(C)2017 Focus Features LLC All Rights Reserved
ミシガン州で暮らす美しい5姉妹が自殺に傾倒する姿を切り取った「ヴァージンスーサイズ」は彼女の長編デビュー作です。
「マリーアントワネット」の映画も彼女は手掛けましたし、さらに1人の少年が美しい少女たちに唆されてセレブの豪邸に強盗に入る姿を描いた「ブリングリング」も印象的です。
つまり「ビガイルド 欲望のめざめ」という作品を撮るにあたって、彼女の描きたいものというのは、あくまでも「女性」だったのだと思います。
「白い肌の異常な夜」は女性が魅力的というよりも、男性であるクリントイーストウッドの魅力がひきたてられています。一方でソフィアコッポラ監督の「ビガイルド 欲望のめざめ」でマクバニ―伍長を演じるコリンファレルは予告編を見る限りあまり男性的な魅力を引き立てられているようには感じられないんですよね。
ポスターでは日本の紙幣を透かしたら見える福沢諭吉や野口英夫のような扱いを受けています(笑)
(C)2017 Focus Features LLC All Rights Reserved
その一方でニコールキッドマンやキルスティンダンスト、エルファニングらが演じる女性陣は「白い肌の異常な夜」とは比べものにならないぐらいに女性的なフェロモンと色気を振りまいています。
ここにソフィアコッポラ監督の「眼」があります。
さらに言うなれば、黒人奴隷を作品に登場させることが本作で彼女が描きたいものを表現する上でノイズになると考えたのではないでしょうか。黒人奴隷を登場させれば、こんなご時世ですから嫌でもその描写に注目が集まります。
そうなると彼女が描きたい「社会から隔絶された女性たちの物語」という側面がどうしても弱まってしまうんですよね。だからこそハリーを排除したことに関して私は「ホワイトウォッシングだ!」という批判をするのは違うと思いたいわけです。
ソフィアコッポラ監督は「ビガイルド」ないし「白い肌の異常な夜」をリメイクするに当たって、自身の「眼」でもって作品を焦点化したのです。
“I would love to have a more racially diverse cast whenever I can. It didn’t work for this story, but of course I’m very open to stories about many different experiences and points of view.”
(BuzzFeedNewsより引用)
彼女は人種的な多様性を作品に取り入れていきたいという旨を話していますし、あくまでも今作「ビガイルド 欲望のめざめ」においてはそれが機能しないと考えたから取り入れなかったと説明しています。
奴隷制度に対する痛烈な皮肉が込められた「ビガイルド」という作品が「女性」を描くことにフォーカスしてきたソフィアコッポラ監督の「眼」によってどんな風にリメイクされたのか?非常に楽しみですね。
「白い肌の異常な夜」をチェックして、コッポラ版と比較してみると面白いと思います。
おわりに
今回は珍しく公開前の映画の考察記事を書きました。
映画が公開された暁には、作品レビューを追記したいと考えています。
近年ハリウッド映画界でも大きく取り上げられる人種問題。そんな現代に敢えて黒人キャストを排除して挑んだソフィアコッポラ監督の「ビガイルド 欲望のめざめ」。
彼女がそうまでしても描きたかった「女性」の物語とは一体何なのだろうか?
公開が待ちきれない思いです。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
コメントを残す