みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画「ウィンストンチャーチル」についてお話していこうと思います。
メイクアップアーティストの辻一弘がアカデミー賞で高く評価されたことで、日本でも話題になった作品ですね。
ちなみに彼は、その後『スキャンダル』などでもアカデミー賞を受賞し、世界的に認められることとなります。
ただ、メイクアップに限らず、本作は1つの映像作品として非常に優れています。
今回はそんな本作について感じたことを綴っていきますよ!
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
映画「ウィンストンチャーチル」
あらすじ・概要
名優ゲイリー・オールドマンがイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルを演じ、第90回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した歴史ドラマ。
チャーチルの首相就任からダンケルクの戦いまでの知られざる4週間を、「つぐない」のジョー・ライト監督のメガホンで描いた。
第2次世界大戦初期、ナチスドイツによってフランスが陥落寸前にまで追い込まれ、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。
連合軍が北フランスの港町ダンケルクの浜辺で窮地に陥る中、就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルの手にヨーロッパ中の運命が委ねられることに。ヒトラーとの和平交渉か徹底抗戦か、究極の選択を迫られるチャーチルだったが……。
チャーチルを支える妻クレメンティーンに「イングリッシュ・ペイシェント」のクリスティン・スコット・トーマス、秘書エリザベス役に「ベイビー・ドライバー」のリリー・ジェームズ、英国王ジョージ6世役に「名もなき塀の中の王」のベン・メンデルソーン。
脚本は「博士と彼女のセオリー」のアンソニー・マッカーテン。アカデミー賞では主演男優賞のほか、オールドマンの特殊メイクを担当した日本人メイクアップアーティストの辻一弘らがメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。
(映画com.より引用)
予告編
なぜこの邦題になったんだ?
さて、映画『ウィンストンチャーチル』がいよいよ公開になりました。
邦題は正確に言うと、『ウィンストンチャーチル:ヒトラーから世界を救った男』となっております。
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
まあ一見すると、普通のポスターですよね。
ただキャッチコピーのところをよく見ると『ダンケルクの戦いを制し』って書いてあるんです。
しかし、ダンケルクの戦い(ダイナモ作戦)って大規模な撤退戦のことなんですよ。
そしてサブタイトルも正直、あまり腑に落ちません。
『ヒトラーから世界を救った男』と書いてますよね・・・。
世界を救ったはちょっと言いすぎじゃないか?と思ってしまうんですよ。チャーチルが救ったのはあくまでイギリスの話。本編でもそれが強調されている。『ヒトラーから英国を救った男』が妥当なところかと思います。
まあ邦題になる時に原題の意図が尊重されないことはよくあることだし、別にいちいち気にしたりしないんだけど、今作のサブタイトルやキャッチコピーの不可解さには少し頭を抱えてしまいます。
最近だと映画『ドリーム』の時も一悶着ありましたよね。
マーキュリー計画の映画なのにアポロ計画のサブタイトルつけちゃって、反発があって、サブタイトル削除にまで追い込まれていました。
チャーチルが世界を救った・・・という点はかなり不可解な記述ですし、ダンケルクは「制し」た戦いではないですよね・・・?
せっかく良い映画だったのにこのポスターには一抹の失望を感じました。
*ここからは本編のネタバレになるような内容を含みます
*ここからは本編のネタバレになるような内容を含みます
『ウィンストンチャーチル』感想・解説
チャーチルとヒトラーその表裏一体性
ハリウッド映画には数多くの伝記映画が存在しますよね。
そしてその中の多くが基本的に勝者の歴史を、とりわけアメリカという歴史の勝者からの視点で綴っています。
自分たちが善で、反発する者が悪だという迷いなき確信の下に描かれた安直なヒロイズムと単純な善悪二元論に裏打ちされた伝記映画の気持ち悪さと言ったらこの上ないものです。
ヒーロー像を作り上げるために史実は捻じ曲げられ、偉人は美化され、反発する者たちは悪だというレッテルを貼り付けられます。そんな空虚な英雄賛歌には飽き飽きしてしまいます。
近年ハリウッド映画ではその潮流も少しずつ変化していますが、それでも依然として絶対的なヒーローが、正義が存在するという説を妄信的に賛美するような映画が世に送り出されているように思います。
対照的なのがヒトラー映画を多く手掛けているドイツ映画でしょう。
彼らはヒトラーを描くに当たって自分たちに正義があるなんてことは絶対に主張できません。それはヒトラーが戦争に敗北した「悪」だからです。
そのためドイツが手掛けたヒトラー映画は基本的にヒトラーを悪として描き、それに反発したものを善とする構図が多いです。
近年の小説ないし映画で「帰ってきたヒトラー」というものがありますが、あの作品がヒトラーに一抹の肯定的な視点をもたらしたことがむしろ斬新だと言われてしまうくらいにヒトラーは悪として映画の世界に君臨し続けていました。
そして今回イギリスが自国のヒーローたるウィンストンチャーチルを映画化することに踏み切りました。
彼とて単純に英雄として賛美するには危険な人物です。
多くの功績と同時に多くの汚点を残した人物でもあります。そんな人物をイギリスはどのようにして映画にしたのでしょうか?
前半部分で強調されたチャーチルのエゴイズム
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved. 映画「ウィンストンチャーチル」予告編より引用
序盤のチャーチル初登場のシーンは印象的でしたよね。
ベッドに寝転んで朝食を食べる太った老人。葉巻を嗜み、朝からウイスキーを流し込みます。そして電報を代筆する女性を怒鳴りつけます。
他の映画なら間違いなくこいつがヴィランだろうという風貌と行動。彼こそが本作の主人公たるウィンストンチャーチルなのです。
そして宮殿に呼び出され、バッキンガムへと向かう道すがら、彼は自分が庶民の暮らしをしたことがないと語ります。パンを買うために並んだことも、バスを利用したこともなく、地下鉄を利用しようとした際には断念してしまったと告げています。
私腹を肥やし、優雅な生活を送りながら、庶民の生活などまるで知らない老いた男。そんな男がイギリスの首相になろうとしているのです。
そして本作の前半部分では特に彼のエゴイズムが強調されています。
国王に対する面談時間の要求。ドイツとの和平に傾く政界の流れに真っ向から逆らう主義思想。独善的な行動。家庭でのワンマンシップ。「クソ食らえ」のVサイン。
彼は一般的に言う独裁者ではありません。しかしその振る舞いはどこか独裁者のそれを感じさせます。前半部分でチャーチルの姿に重なって見えるのは、どうしてもナチスのアドルフ・ヒトラーなのです。
人を失望させ、傷つける言葉
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved. 映画「ウィンストンチャーチル」予告編より引用
ウィンストンチャーチルは本作中でその言葉でもって多くの人を怖がらせ、失望させ、傷つけてきた人物として描かれています。
まず最初に代筆者のレントンに対しての言葉ですね。チャーチルは彼女が初勤務の日に些細なミスを犯すと、怒鳴りつけ、彼女を追い出してしまいました。チャーチルの言葉によって彼女はすっかり怯えてしまったのです。
また終盤のとあるシーンでチャーチルが彼女に演説の原稿の代筆を求めます。その内容はナチスドイツとの和平交渉に好意的な意志を示す内容でした。
レントンはその内容に思わず涙します。というのもレントンの兄は兵士としてダンケルクへと赴いていて、戦死したというのです。
他にもチャーチルは言葉で人を殺してすらいます。カレーの地で懸命に戦う兵士たちに向けて送った電報は「カレーの部隊の救出は無い」というものでした。
それを読んだ准将の表情。その後のカレーの陥落。チャーチルの言葉は人の心を折ってしまったのです。
言葉は人を恐れさせる。
言葉は人を傷つける。
言葉で人を悲しませる。
そして言葉は人を殺める。
キケロの名言とチャーチルの奮起
物語の中で幾度にもわたって示されたチャーチルのエゴイズムと言語による暴力性。
しかし、それでも彼は「独り」にならなかったのです。
彼が探していたキケロの名言は以下のものです。
「艱難に会って初めて眞の友を知る」
チャーチルは英国国王と愛する妻と、代筆者レイトンそして市民たちによって支えられたのです。彼は艱難に会って初めて眞の友を得たのです。
様々な人の声を聞き、それを自らの行動に反映させていきます。
妻からの「市民に愛される首相になって欲しい」という言葉。
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved. 映画「ウィンストンチャーチル」予告編より引用
レイトンが涙ながらに兄について語った言葉。
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved. 映画「ウィンストンチャーチル」予告編より引用
英国国王の「街に出て、市民の声を聞きなさい。」という言葉。
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved. 映画「ウィンストンチャーチル」予告編より引用
市民たちの「絶対に何があっても諦めない」という強い言葉。
言葉がチャーチルを勇気づけ、彼を暗いトンネルから引っ張り出してくれます。
そして彼は自分の言葉でもって最後に歴史の1ページに刻まれる演説をやってのけたのでした。
冒頭の演説シーンでは振られなかったハンカチ。しかし言葉の真の力を知ったチャーチルの口から発せられる魔法の言葉はハンカチを降らせ、紙の雨を議会に降らせ、称賛の嵐を巻き起こしました。
何も成し遂げていないチャーチル
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved. 映画「ウィンストンチャーチル」予告編より引用
みなさんはこの映画において1つ興味深い点があるのにお気づきですか?
実はこの映画においてウィンストンチャーチルと言う男はまだ何も成し遂げていないんです。
ダイナモ作戦の成功はエンドロール直前でテロップ表示されるのみ、彼の大きな功績とも言われるバトルオブブリテンでの勝利はほとんど言及すらされていません。
つまりウィンストンチャーチルが主人公の映画にも関わらず、この映画はウィンストンチャーチルの功績を何一つ提示していないんです。
その一方で彼の失敗に関してはいくつかフィーチャーされています。ガリポリ上陸作戦における大失態や金本位制導入による大損失などが彼の失敗として挙げられています。
これによってこの「ウィンストンチャーチル」という映画が彼を英雄として仕立て上げ、賛美しようというスタンスの映画でないことは明白でしょう。
チャーチルとヒトラー、善と悪を隔てたものとは?
(C)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved. 映画「ウィンストンチャーチル」予告編より引用
さてここまでの論拠を元に今回の記事の本筋に入っていきましょう。
まずこの映画はチャーチルをヒトラーに被らせるかのような描き方をしています。エゴイストで独善的、それでいて法の正式なプロセスに則って首相の座に就き、言葉でもって人民を煽動しようとしています。
この映画で描かれたチャーチル像はヒトラーのそれに多くの共通点を有しているわけです。
この映画はありがちなヒロイズムには傾倒していません。それどころかチャーチルという英国のヒーローは一歩間違えれば、ヒトラーの近似の存在になる危険性をも秘めていたという非常に中道的な視点で彼を捉えています。
本作のヴィラン的立ち位置にいるハリファックスらが平和主義者というのも実に興味深いポイントです。一般的に平和こそ正義、戦争は悪というものの見方があります。
そう考えるとチャーチルは戦争をしようとしている悪、ハリファックスらは戦争を回避しようとしている善と考えることも当然可能です。
ではチャーチルはなぜ今もなお英雄として語り継がれ、ヒトラーは戦争犯罪人として扱われるのでしょうか?
その答えは単純明快です。イギリスは戦争に勝利し、ドイツは敗れたからです。
歴史というものは常に「勝者の言葉」によって作り上げられてきました。敗者には言論の自由などなく、勝者が自分たちの都合の良いように言葉を紡ぎ、自分たちを正当化する、それが歴史なのです。
だからこそ多くの共通点を有し、互いに同じ結末を迎える可能性があった2人ですが、結果的に対照的な後世の評価を獲得することになります。チャーチルの紡いだ言葉は名言となり、ヒトラーの紡いだ言葉は蔑視の対象となりました。
本作はそんな善と悪の表裏一体性から決して目を背けていません。
言葉は時に人を傷つけ、時には人を殺してしまうものです。
言語が人を虐殺へと駆り立てると記した伊藤氏の「虐殺器官」という小説がありますが、ナチスによる恐ろしいユダヤ人虐殺へと人々を駆り立てたのも紛れもなく言葉でした。
その一方でカレーに残る勇敢な兵士たちの心を折ったのもチャーチルの無慈悲な言葉でした。
言葉というものは以上に恐ろしいもので、他のどんなものよりも人に影響を与えることができます。
イギリスの政治界を社会を戦争へと傾倒させたチャーチルの言葉。ドイツ市民たちを熱狂させ、戦争へ、虐殺へと傾倒させたヒトラーの言葉と何が違うというのでしょうか?
2人を隔てたものはチャーチルがたびたび口にしていた”VICTORY”です。チャーチルは勝利し、ヒトラーは敗北しました。
この「ウィンストンチャーチル」という映画は言葉が人を煽動させ、戦争へと駆り立てたという恐ろしい史実から一切目を背けていません。むしろ積極的な姿勢でそれを描こうと試みています。
しかし同時に”Darkest Hour”に光をともしたのもまた言葉でした。
チャーチルはどん底のイギリスをその言葉でもって鼓舞し、勇気づけました。一方のヒトラーもまた言葉でもって第1次世界大戦後の疲弊したドイツ国民を勇気づけ、彼らに夢を見せました。
人を殺すのが言葉であれば、人を救うのもまた言葉なのです。
この「ウィンストンチャーチル」という映画は彼を英雄として賛美するために作られた伝記映画と言うよりも、言葉という概念の持つ力を描いた作品だったのではないでしょうか?
チャーチルの功績にほとんど言及されなかった点もこう考えると腑に落ちます。
“Darkest Hour”に一筋の光をもたらしたのは”言葉”だったのです。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『ウィンストンチャーチル』についてお話してきました。
本作の素晴らしさはやはり繰り返し述べてきたように英雄賛歌やプロパガンダ的でないことです。
チャーチルを英雄として過剰に持ち上げず、あくまでも彼の言葉がもたらした称賛と勇気にスポットを当てています。一方で言葉が持つ暴力性にも言及することで、チャーチルとヒトラーの姿を重ね合わせることに成功しています。
イギリスとドイツ。チャーチルとヒトラー。共に国家のDarkest Hourに言葉でもって一筋の光をもたらした人物です。
しかし一方は英雄として語り継がれ、一方は極悪人として語り継がれています。
この映画が後にもたらされるバトルオブブリテンや第2次世界大戦での勝利に、VICTORYに言及していないのは、「勝者の言葉」でチャーチルを語ろうとしていないからです。
あくまでも言葉で人民の心を動かした1人の男としてチャーチルは描かれています。
本作は、彼の英雄的側面だけでなく、彼が孕んでいた危険性をも逃げずに正面から描き切って見せたのです。
本作の閣僚たちによる会議シーンが「ヒトラー最期の12日間」を想起させる演出や構成になっているのもポイントです。
ありがちなヒロイズムや単純な善悪の二元論に作品を傾倒させなかった作品のスタッフ陣に大きな賛辞を贈りたいと思います。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。