みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね本日から公開となりました映画「名探偵コナン:ゼロの執行人」についてお話していこうと思います。
公安警察や警視庁といった組織の構図が密接に絡んでくる内容なので、大人でも集中してみないと展開についていけません。
ただ、そのレベルの内容を劇場版でできるコンテンツなのがそもそもすごいですよね。
そこで、今回は「名探偵コナン:ゼロの執行人」が何を描こうとしていたのかを、自分なりに考えながらお話させていただければと思います。
記事の都合上作品のネタバレを含む内容となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『名探偵コナン ゼロの執行人』
あらすじ・概要
青山剛昌原作の人気アニメ「名探偵コナン」の劇場版22作目。
サミット会場を狙った大規模爆破事件を発端に、コナンと公安警察が衝突するストーリーが展開し、劇場版20作目「名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)」に続き、謎の男・安室透がメインキャラクターとして登場する。
東京で開かれるサミットの会場となる東京湾の巨大施設「エッジ・オブ・オーシャン」で、大規模爆破事件が発生。事件の裏には、全国の公安警察を操る警察庁の秘密組織・通称「ゼロ」に所属する安室透の影があった。
サミット当日ではなく事前に起こされた爆破事件と、安室の行動に違和感を抱くコナン。そんな折、爆破事件の現場から毛利小五郎のものと一致する指紋が発見され……。
監督は前作まで計7作の劇場版「コナン」を手がけた静野孔文から、新たに「モブサイコ100」「デス・パレード」の立川護にバトンタッチ。
(映画com.より引用)
予告編
興行収入前作超えなるか!?
さて、「名探偵コナン」の映画シリーズと言えば気になるのが興業収入ですよね。近年は毎年のように右肩上がりを継続しているのが非常に印象的です。
最終興行収入は・・・
- 「11人目のストライカ―」→32.9億円
- 「絶海の探偵」→36.3億円
- 「異次元の狙撃手」→41.1億円
- 「業火の向日葵」→44.7億円
- 「純黒の悪夢」→63.1億円
そして昨年の「から紅の恋歌」が68.9億円ということで過去最高の興行収入となっています。
今回の「名探偵コナン:ゼロの執行人」は金曜日公開なので、昨年との単純比較が難しくなっています。しかし、金曜日の動員は「スターウォーズ:最後のジェダイ」に匹敵する特大の出だしとなったようです。
さらに土曜日は昨年とほとんど横ばいという情報が出てきています。金曜日公開で需要の先食いがありながら土曜日にこれだけの数値を出せるのは素晴らしいと思います。
ただ興行収入面に関してですが、土曜日が14日なので「TOHOシネマズの日」なんです。そのため動員は昨年と横ばいですが、興行収入は昨年を下回ることが濃厚かと思います。
土曜日の動員は昨年を僅かに下回ったようですが、日曜日の動員は昨年を上回っているようです。そのため、土日初動数値では昨年とほとんど同じ数値が出ることが濃厚ですね。
「から紅の恋歌」は初動興行収入が12億8,692万8,000円でした。
ここから土曜日の単価が安くなった分を差し引いても12.5億円付近の初動が出ることはほとんど間違いないのではないでしょうか?金曜分を含めると3日間で15.5~16.5億円ほどの出だしになることが見込まれますね。
(4月16日追記)
さて私が予想していた数値のほとんど最大値で初登場となりましたね。
土日初動興行収入が12億9600万円。3日間興行収入が16億7000万円とのことです。
ここから累計予想をしてみます。
昨年の「から紅の恋歌」の累計興行収入は初動の役5。36倍です。例年コナンの映画シリーズは初動の5倍付近に収まるので、これを大きく外れることは無いと思われます。
そのため単純計算をすると12.96億円×5.36=約69.5億円です。それに金曜日分を加算して約73.2億円という推測値が出てきます。
前年比アップに向けてまずは上々の出だしと言えるのではないでしょうか?
いやはやもう5月も終盤に差し掛かろうとしていますが、『名探偵コナン:ゼロの執行人』は見事前作越えを達成ですか。おめでとうございます。シリーズの中でも有数の高評価を受けている作品ですし、人気キャラクター安室が主人公ですから当然と言えば当然なのでしょうか。
ただ今回の映画は内容も非常に難解で複雑でしたし、誰かが言っていましたがまさに「安室人気を人質に取った映画」でしたね(笑)
『名探偵コナン ゼロの執行人』感想・考察(ネタバレあり)
クライムサスペンスとして一級品の面白さ
近年の「名探偵コナン」の映画シリーズの流れに違わず推理パートは控えめで、「名探偵コナン 純黒の悪夢」を超えるスケールとど派手なアクション、カーチェイスが迫力満点という印象でした。
やはり本作の中心にはトリプルスパイの男、安室透が据えられていて、彼が物語のキーマンとして活躍しておりますので、安室ファンの方はもう見に行っておいて間違いないと思います。
キャッチコピーの通り「真実VS正義」という子供向けアニメとしては高尚なテーマが掲げられていましたが、その宣伝文句に違わず、非常に大人向けな仕上がりでかつ善と悪の境界を曖昧にする展開で、見終わった後に深く考えさせられるような内容でした。
また後にネタバレを含めて解説するのですが、本作について深く理解するために今日の日本の時事にある程度アンテナを張っておくと良いでしょう。非常に示唆的に描かれているパートやモチーフが散りばめられています。
ぜひぜひ「名探偵コナン:ゼロの執行人」劇場でご覧ください。
1の真実と0の正義の先に浮かび上がる”黄色い顔”
さてここからはネタバレを含めて作品の内容について詳しくお話していこうと思います。
本作のテーマには「真実VS正義」という言葉が掲げられていました。そして、映画「名探偵コナン:ゼロの執行人」は間違いなくそのテーマを深く描いた作品です。
今回はいくつか自分の論拠をお話しながら、本作の描こうとした本質へと迫っていけたらと思っています。
犯人はコナンであり安室であり・・・
この作品を見ていて面白いのが推理をし、真相を暴く者という探偵ものにおける一般的な正義の立場にいる者たちが事件に何らかの形で加担しているという点だと思うんです。
例えば本作の中心人物として据えられている安室透は公安警察所属であり、過去の事件で羽場二三一を「自殺」したとして自由の身にしました。
そのことを彼を協力者として重用していた日下部に知らせなかったことが本作「名探偵コナン ゼロの執行人」における事件の引き金となっています。
また主人公のコナンはどうでしょうか?彼は探偵としてたびたび警察の捜査に協力し、その真相を明らかにしてきました。彼が追い求めるのはただ1つの真実です。
しかし彼が辿りつく先が本当に真実だと言えるのでしょうか?はたまた正義と言えるのでしょうか?彼の推理が知らず知らずのうちに誰かを追い詰めているかもしれません。
つまり本作で主人公的立ち位置に存在しているコナンと安室でさえも正義を行使しているとは言えませんし、むしろ犯人の犯行の原因を作っているとも言えるんですよね。
本作のそんな善と悪のアンビギャスな描き方を見ていて2つの探偵小説を思い出しました。
1つ目がアガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」です。
名探偵ポアロシリーズにおいても異色なこのエピソードは「物事の善悪をはっきりと見分けられる」と主張し、これまで絶対的な自信を持っていたポアロがその衝撃の事件の顛末を知り、悩みながら善と悪の中間の存在を受け入れ、悪を赦すんです。
どんな人であれ犯罪者を許さないという固い決心をしていたにもかかわらず、ポアロはその中間に存在する善と悪のカオスから目を背けることができなくなりました。
そしてもう1つがコナン・ドイルのシャーロックホームズシリーズにおいて個人的に大好きな「黄色い顔」というエピソードです。
この「黄色い顔」ではシャーロックホームズが推理を見誤るという珍しい出来事が起こります。自分の推理力を過信し、自分に正義があると思いこんだゆえのミスでした。
さらに言うと、この「黄色い顔」というエピソードはこれまで絶対的な正義として描かれてきたシャーロックホームズという男の正義に疑いをかけるという内容になっています。またこのケースの真相として黒人の子供が登場するのもキーポイントです。
当時のイギリスは植民地支配を強めていました。そしてアジア人や黒人を自分たちの奴隷として従えていきました。
つまり黒人の女の子が「黄色い顔」で描かれたような自然に巻き込まれていくのは,イギリス人が奴隷を作ったからなんです。つまりホームズというイギリス人はこの事件に無意識的に関与していたことになるわけです。
このようにホームズの正義や推理の過信への警告と善悪のアンビギャスさがこのエピソードに集約されています。
本作「名探偵コナンゼロの執行人」はコナンと安室が正義の在り方に苦悩しながらもそれでも自分の信じる正義の道を歩む決意をするという作品です。その点で私は「黄色い顔」に強いリンクを感じましたね。
コナンVS証拠
(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会 映画「名探偵コナンゼロの執行人」予告編より引用
探偵というと隠された証拠を拾い集めていき、それを繋ぎ合わせて事件の真相を辿るという存在ですよね。つまり探偵にとって証拠というものは非常に大切なものです。
今作でコナンはそんな証拠という探偵にとって極めて重要なものに真っ向から立ち向かっているんです。彼は毛利小五郎の証拠が揃っているにもかかわらず、小五郎と蘭のために何とかして真相を暴こうとするわけです。
つまり証拠に則って正式な手順を踏んで捜査をし、証拠が揃い次第起訴するという日本の国のリーガルでライトなプロセスを今作のコナンは半ば否定してしまっています。果たしてこれを正義だと言えるのでしょうか?
これまで証拠を何よりも大切にしてきた探偵であるコナンが、揃っている証拠に対して私的な感情のために逆らうという作品構造は、実に善と悪の境界をぼかしているプロットだと思います。
橘境子と日下部誠、表裏一体の善と悪
本作において公安警察に憎しみの感情を抱いている人物が2人描かれています。
本作の事件の犯人となった男、日下部誠と、もう1人は公安事件を多く担当しているという弁護士の橘境子です。
前者は羽場二三一を公安警察が自殺に追い込んだという理由で、彼の復讐のために大規模なサイバーテロを引き起こします。そしてその過程で、数人の公安警察の人を死に追いやり、東京で大規模停電を引き起こして多くの人を混乱に巻き込みました。さらには衛星のパスを改変して、衛星を警視庁に墜落させようとしていました。
彼はもちろん罪に問われ、警察に逮捕されました。
一方の後者は、公安警察にかつて思いを寄せていた羽場二三一を逮捕された上に、自殺に追い込んだために憎しみの感情を抱いています。
そして公安警察の利害に反する行動を取ろうとして、毛利小五郎を有罪に陥れようと企みます。この計画は毛利小五郎が途中で無罪となったので、遂行されることはありませんでした。
彼女に関しては証拠も無く、未遂に終わったこともあるので罪に問われませんでした。
この2人は憎しみの感情をそれぞれ持っていて、それを行使してそれぞれに犯行に及ぼうとしました。しかし日本の現行の法律で裁けるのは前者のみで、後者は裁く事ができません。
つまり日本の法律では、前者は悪、後者は善になるんです。
例え同じ感情を持ち、同じように人を陥れようとしたとしてもです。
正義としての違法行為を行う公安警察
(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会 映画「名探偵コナンゼロの執行人」予告編より引用
本作において非常に興味深いのが本来法に則って正義を行使するはずの公安警察が違法な行動をたびたび取っているんですよね。
他機関との内通とそれに伴うイリーガルな捜査の指示、犯人の証拠のでっち上げと送検、爆発物の使用など、日本の法律で裁くとしても法に背くような行動をしばしば取っています。
それにも関わらず、公安警察は自分たちが正義であるという立場を崩しません。日本の国のためになることであれば、違法なことをしたとしても罪に問われないんです。
公安警察が振りかざす正義と、それとは相いれない違法な捜査や行動の矛盾が本作の善と悪、正義と真実というテーマに直結しているようにも思いました。
少年探偵団の活躍の裏に・・・
(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会 映画「名探偵コナンゼロの執行人」予告編より引用
少年探偵団は「名探偵コナン ゼロの執行人」の終盤でドローンを操縦して、衛星から落下してきたカプセルの軌道を変える際に尽力しました。
ラストシーンでコナンがそんな彼らを見ながら、内心で彼らを称賛しているのですが、個人的には彼らの活躍は非常に恐ろしいものだと思いました。
というのも彼らは自分たちが爆薬を持ってカプセルの下へと向かったという事実を知らないわけです。
劇中ではこの作戦が成功したので、事なきを得ましたが仮にこの作戦が失敗していて、爆弾が誰かを殺傷していたらどうなったでしょうか?
少年探偵団の3人は何も知らされないままに、ドローンを飛ばすことが正義だと信じるままに、あの作戦に協力しています。しかしそもそもドローンを飛ばすことも、爆弾を運搬することも、それを起爆することもイリーガルなんです。
つまり彼らは正義だと信用させられて、違法行為を行っています。それでも無知であるために彼らは自分たちはドローンを飛ばしただけだと信じ続けるわけです。
この構図は非常に怖いと思います。
まとめ:正義は果たして存在するのか?
(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会 映画「名探偵コナンゼロの執行人」予告編より引用
本作では徹底して善悪の境界線を曖昧にし、正義が存在するのか?というテーマに迫ろうとしていたように思いました。
皆さんは正義は存在すると思いますか?
私は正義は存在しない、正義はゼロであると考えています。
そもそも万人にとって正義であることなんて存在しないんですよ。
例えば戦争はどうでしょうか?戦争は正義だと言い切れますか?不可能ですよね。人間は誰しも自分たちに正義があると信じて戦争を引き起こします。
つまり正義の実像が存在しないにもかかわらず、自分たちに都合の良い正義の虚像を信じて戦うんです。そこに正義など存在し得ません。
例えば死刑はどうでしょうか?犯罪を犯した人間を裁く行為なのだからこれは正義だなんて言えるのでしょうか?これも不可能です。
人を1人殺すという行為は本質的に殺人と何ら変わらないのに、この世界では殺人は悪で、死刑は善だと考えられるんです。しかし、それが正義だと言い切るのは不可能です。
このように正義というものはその反対と常に表裏一体で、時に混ざり合ったカオスとして存在してすらいると思います。だからこそそれを隔てることなどもはや出来はしないのです。
コナンや安室という作中の主人公の立ち位置に当たる人物ですら、悪に加担していたように、公安が違法行為を正義として行っているように、橘と日下部の間に善と悪の境界が引かれたように、常に善と悪は分けようとすると矛盾を表出させます。
それでも信じられるものは何なのか?正義の無い世界で何を信じたらいいのか?
「名探偵コナン ゼロの執行人」が出した一つの答えは、それでも自分が正義だと信じる行動を取るしかないというメッセージではないでしょうか?
安室は国のために戦うことを正義だとし、コナンは蘭のために戦うことを正義だとしたわけです。橘は毛利小五郎を陥れることを正義としましたし、日下部は羽場のために公安に復讐することを正義としたわけです。
正義という名のゼロを執行していくことでしか我々は真っ当に生きられないんです。
この映画を見ていてSEKAI NO OWARIの「Anti-Hero」という曲を思い出しました。
I’m gonna be the anti-hero
Feared and hated by everybady
I’m gonna be the anti-hero
So I can save you when the time comes(SEKAI NO OWARI「Anti-Hero」)
愛する何かを守るためになら手段を選ばない。自分の愛する人を守るためなら悪にでもなってやるという意味合いが込められた歌詞になっています。
本作の終盤にコナンが安室に恋人の有無を聞きますよね。それに対して安室は「僕の恋人はこの国さ。」と答えています。コナンは言うまでもなく蘭姉ちゃんですよね。
(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会 映画「名探偵コナンゼロの執行人」予告編より引用
つまり愛する人をものを守るためには手段を選ばない。自分の信じる正義のために戦う。それが悪だとしても、矛盾をはらんでいたとしても。
別々の方向に歩いていく安室とコナンの姿には2人のそんな覚悟が伺えました。
2人はこれからも愛するもののためにAnti-Heroであり続けるのかもしれません。
本作「名探偵コナン ゼロの執行人」の一番最後のシーンで日下部が逮捕されたというニュースが流れています。
その際に彼が公安部の検察官であることが伏せられていました。
これは公安部の検察官の威信を失墜させることを防いだというよりも、警察組織全体でこの罪を受け止め、全体でその責任を負うということだったのではないかと解釈しました。
日本の時事問題が絡んだ大人向け現代劇の側面
本作は「名探偵コナン」の映画シリーズではあるんですが、とにかく大人向けだったように思いました。というのも今の日本の時事問題が非常に色濃く絡んでいるように思えたからです。
例えば警察組織ないし公安の組織ぐるみでの隠蔽体質ですよね。最近は安陪首相主導で、森友学園の公文書を改竄したのではないかとの疑惑が浮上し、政界を震撼させています。
また安陪総理らに支持を受けて行動したであろう佐川長官がいわゆる「トカゲのしっぽ切り」にあったのも印象的です。これは「名探偵コナン ゼロの執行人」における協力者の存在に近いものを感じます。これが正義だと言わんばかりに指令を出され、それを全うしたにも関わらず、それが明るみに出て問題になると、一転して罪に問われてしまうわけです。
このような日本の三権を司る組織における隠蔽や汚職などが問題視されるようになっています。そんな現状をこの映画はタイムリーに反映しているとも言えます。
また「カジノタワー」という名称が意味深ですよね。
現在日本ではカジノ法案が問題になっています。法案は可決され、日本における公営のカジノ施設は実現が間近となり、入場料等の問題も噴出しています。
そんな昨今の日本の事情がある中で、カジノタワーという名称の建物を登場させるのは極めて示唆的とも言えます。
他にもドローンの問題は近年浮上してきましたよね。国会議事堂でドローンを飛行させて逮捕された少年がいましたよね。
無人探査機「はくちょう」が墜落してくるという一連のくだりは少し前に大きな話題となった北朝鮮のミサイル問題を想起させます。
情報社会となった今、ハッキングをすることで簡単に大規模犯罪が起こせるようになってしまっているということもこの作品で批判的な視点で描いています。
このように「名探偵コナンゼロの執行人」という作品は現代日本にはびこる諸問題を極めて示唆的に物語の中に盛り込んでいます。
それでいて独自の視点をも提示しているように思います。
例えばドローンは一歩間違えば、犯罪の道具にもなり得るし、その一方で大勢の人を救う切り札にも成り得るという二面性をきちんと描いています。
「はくちょう」の墜落シーンは最終的に安室とコナンの現実離れした技で事なきを得ましたが、本当に日本にミサイルが迫って来た時、どう対処するのか?その準備は整っているのか?と懐疑的な視点を提示していたようにも思いました。
このように今回の「名探偵コナンゼロの執行人」は非常に現代劇の側面も強く、非常に大人向けな印象が強かったです。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画「名探偵コナンゼロの執行人」についてお話してきました。
実は近年のコナン映画は映画館ではなく、レンタルで見ることが多かったのですが、今回は興味をそそられたので初日に突撃してみました。
平日にもかかわらず朝から満員近いお客さんが押し寄せていて、名探偵コナンというコンテンツの凄さを改めて認識しました。
名探偵コナンの映画シリーズはほとんど全タイトル鑑賞していますが、今回の「名探偵コナンゼロの執行人」は個人的にTOP3に入るぐらいには面白かったです。
探偵ものというよりは一級のクライムサスペンスという印象でしたがアクションシーンも非常に迫力があり、劇場で鑑賞して良かったと思いました。
そしてエンドロールで流れる福山雅治さんの「零zero」なんですが非常にストレートで刺さる歌詞でしたね。ちょっとメロディラインがレトロで野暮ったい感じで、コナンのEDのテンポ感では無かったようにも感じましたが・・・。
楽しみです・・・。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。