みなさんこんにちは。ナガです。
今回はですねポールトーマスアンダーソン監督最新作である『ファントムスレッド』についてお話していこうと思います。
『インヒアレント・ヴァイス』は原作がトマス・ピンチョンでしたし、非常に難解でした。
そういう意味でも、入門編としては適した作品です。
ただ、細かく読み解いていくと奥深い作品ではありますので、その点を読み解くためのポイントを提示できればと思います。
この記事はネタバレを含む作品の詳細な解説・考察記事になります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけくださいませ。
良かったら最後までお付き合いください。
『ファントムスレッド』
あらすじ・概要
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のポール・トーマス・アンダーソン監督とダニエル・デイ=ルイスが2度目のタッグを組み、1950年代のロンドンを舞台に、有名デザイナーと若いウェイトレスとの究極の愛が描かれる。
「マイ・レフトフット」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「リンカーン」で3度のアカデミー主演男優賞を受賞している名優ダニエル・デイ=ルイスが主人公レイノルズ・ウッドコックを演じ、今作をもって俳優業から引退することを表明している。
1950年代のロンドンで活躍するオートクチュールの仕立て屋レイノルズ・ウッドコックは、英国ファッション界の中心的存在として社交界から脚光を浴びていた。
ウェイトレスのアルマとの運命的な出会いを果たしたレイノルズは、アルマをミューズとしてファッションの世界へと迎え入れる。
しかし、アルマの存在がレイノルズの整然とした完璧な日常が変化をもたらしていく。
第90回アカデミー賞で作品賞ほか6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞した。
(映画com.より引用)
予告編
『ファントムスレッド』解説・考察(ネタバレあり)
ポールトーマスアンダーソン監督作品として
何を隠そう私はポールトーマスアンダーソン監督の大ファンです。
自分が好きな監督を10人挙げてくださいと言われれば、絶対に下の名前が漏れることはありません。
その中でも特に好きなのが、2013年の『ザ・マスター』という作品です。
私の思う彼の作品の素晴らしさって後ほど語らせていただきますが、映像の雄弁性なんですよ。
ポールトーマスアンダーソン監督作品はしばしば難解であるとか意味が分からないという評価を受けることがあります。ただそれは極めて表面的な情報しか読み取ろうとしていないからです。
彼の作品における読み取るべき情報の大半は無言です。映像を隈なく見ることでしか読み取ることはできません。
映像を見て、そこに自分なりの考えを付与していく中で徐々に物語の全貌が浮き上がってくるという構造になっています。
今回『ファントムスレッド』を鑑賞するに当たって監督の過去作を見てみようかなという方がいらっしゃいましたら、以下の2作品をおすすめしたいです。
以下に紹介する2作品と今作『ファントムスレッド』を合わせて私は「PTA支配3部作」と呼びたいですね。
『ゼアウィルビーブラッド』
言わずも知れた彼の代表作ですね。
また本作で主演を務めたダニエル・デイ=ルイスは『ファントムスレッド』でも主人公のレイノルズ・ウッドコックを演じています。
この作品の主人公はまさに欲望の権化みたいな男です。彼は何でも自分の支配下に置こうと試みます。加えて、自分にとって従順なものを身近に置くことで彼は安心感を得ます。
つまりこの作品のテーマは『ファントムスレッド』に非常に関連が強いんですよね。
自分が他人を支配したい、自分の思い通りになる人間が欲しいという純粋な欲求が2作品において共通項として描かれています。
『ゼアウィルビーブラッド』はそう考えるとまさに対になるような作品とも言えますね。
『ファントムスレッド』は『ゼアウィルビーブラッド』でポールトーマスアンダーソン監督が問うたテーマへのアンサーなのかもしれません。
『ザ・マスター』
本作もまた支配をめぐる物語です。
本作はとりわけ人生の支配権をめぐって葛藤するという映画だと思います。
自分の人生の支配権を他人に委託してしまえば、誰しも楽になれます。
しかし自分の人生を自分の意志でもって進めていくことにこそ意義があるのだとポールトーマスアンダーソン監督は我々に問いかけます。ちっぽけな人生でも良いから自分の人生の支配者となれと。
『ザ・マスター』と『ファントムスレッド』は部屋というモチーフの使い方が非常に似ています。部屋を「支配領域」として捉えることで映像によるストーリーテーリングに成功していますね。
1本と映画として見ても非常にレベルの高いものなので、ぜひぜひチェックしてみてください。
そして本作『ファントムスレッド』を他のポールトーマスアンダーソン監督作品と比較した時にどうかという話ですが、私の印象としましてはいつもに増して上品な味付けでいてシンプルな作りだと思いました。
『インヒアレントヴァイス』
前作の『インヒアレントヴァイス』はそもそも現代アメリカ文学最難関の1人とも言えるトマスピンチョンの書籍を原作にしていますから必然的に異常なほどに難解な映画になっていました。正直映画だけであれを理解するのは不可能に近いレベルでしたね。
ただ基本的にポールトーマスアンダーソン監督の作品は難解です。
ストーリーそのものは比較的シンプルですが、その物語が一体何を意味するのかというところまで踏み込もうとすると急に迷路に迷い込みます。
ですので『ファントムスレッド』という作品は彼の作品の入門編として最適の映画だと思います。彼の作品だということは十分すぎるほどに分かる作りでありながら他の作品に比べて読み取りやすい作品です。
この作品を機に彼の作品が日本でもより一層注目を集めるようになると嬉しいですね。
アカデミー賞衣装デザイン賞受賞
本作『ファントムスレッド』はアカデミー賞で衣装デザイン賞を受賞しました。
衣装デザインを担当したマーク・ブリッジは1950年代のイギリスのオートクチュールを徹底的に研究し、当時の衣服を再現して見せました。
マーク・ブリッジは撮影した時に映える衣装を演出することにもこだわったと言いますが、とにかく第2次世界大戦後のイギリスを彩った衣服を再現することに心血を注いだということです。
ラベンダーカラーのサテン製のドレスは個人的にお気に入りです。
また単に当時のオートクチュールの衣服を再現しただけでこれだけの高評価を受けるはずがありません。
素晴らしいのは衣服の変化を見事に物語と調和させているところです。
例えばアルマが大晦日の夜にレイノルズと過ごしていた時に身につけていたこの赤と黒の衣服ですが、これ見て思い出しませんか?
(C)2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved
そうなんです。これってレイノルズの前のガールフレンドらしき人物が冒頭で身につけていたドレスに非常に似ているんですよね。
(C)2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved
2つの衣服が纏った不穏な雰囲気が見事にリンクしてアルマとレイノルズの物語の先行きの不穏さを見事に漂わせます。
衣装の解説については以下のサイトが非常に詳しく書いてくださっているので、こちらのサイトを覗いてみると良いと思います。
映像の雄弁性
先ほども触れた点ではありますが、ポールトーマスアンダーソン監督はとにかく映像によるストーリーテ―リングが上手い監督です。
もう瞬きも許さないという勢いで映像に物語を託してきますので、とにかく画面の隅々まで目を凝らして見ましょう。
その中でも上手いと感じたシーンをいくつか紹介していきましょう。
レイノルズとアルマの初夜
この演出はもうあのサタジット・レイの『大樹のうた』で成された演出をすぐに思い出しましたね。
ディナーの後でレイノルズとアルマは2人で部屋に入っていくんですね。
つまりここで彼らは結ばれたのだろうということは何となく察しがつきます。
しかし普通の映画監督であれば、そこで2人が情熱的な性行為をしているまさにその描写を映画に取り入れるでしょう。
ただポールトーマスアンダーソン監督はそんな野暮なことはしません。
サタジット・レイよろしく朝食のシーンでそれを表現してしまうんですよね。
アルマはダイニングに入ると、レイノルズの頬にキスをします。そして席に座ると幸福感に満ちた表情でレイノルズを見つめます。
これだけで敢えて描かずとも2人がどんなセックスをしたのかは一目瞭然ではないですか?
車の運転と主導権
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本作中には車を運転するシーンが何度か登場します。
アルマとレイノルズが2人で車に乗る時は基本的にレイノルズが運転をします。これは2人の関係性における主導権がまだレイノルズにあることを示していますよね。
ただ物語の中盤でファッションショーを終え、車の運転席で項垂れているレイノルズを見て、アルマが自分が運転することを申し出ます。
これはアルマが2人の関係性における主導権を徐々に奪おうとし始めていることが伺える描写でもあります。
本作で印象的な液体のモチーフ
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本作では液体のモチーフが非常に印象的に登場しています。液体、とりわけ水という物体はキリスト教において洗礼の儀式で使われるものですからある種の「施し」とも捉えられるモチーフです。
まずレイノルズがアルマと最初にディナーに行った時のことですね。ここでレイノルズは水に浸した布でアルマの口元を拭いたりしていましたよね。つまり水を与える、施す立場にあるのが彼だということが明確になっています。
その後作業をしているレイノルズの元にアルマがティーを持って行くシーンがありましたよね。ここで彼はそれを拒んでいます。つまり彼はアルマからの施しを受けないという立場を明確にしているのです。
そして彼らの関係性を大きく変えるのもまた液体でしたね。アルマは毒キノコをお茶に忍ばせて、レイノルズに飲ませることで彼の体調を意図的に崩しました。そうして彼女は彼からの愛を勝ち取ったわけです。
さらには終盤の毒キノコ入りのオムレツをレイノルズが食べるシーンですよ。
ここでアルマはグラスに2人分の水を注ぎますよね。この時のグラスの中の水の量に注目して見てください。するとあからさまにレイノルズの水の量が少なく、アルマの方が多いということが分かります。これはつまり「施し」のバランスが逆転したことを明確にしていますね。
階段のワンシーンにおける動線
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登場人物の動線を用いた演出は映画における1つの重要な構成要素です。
ポールトーマスアンダーソン監督はその辺りの扱いにも長けています。
特に『ファントムスレッド』の階段のシーンは非常に印象的ですね。この映画ではたびたび「家」がレイノルズの支配領域であることを示唆していました。そんな家の中でレイノルズは解団の上に立っているアルマを見上げているんですね。
これってつまりはアルマがこの家の支配者になろうとしていることを示唆しているではないですか。
しかしその後アルマは階段を下りてきて、レイノルズは上がっていきます。そして2人が同じ高さに立った時に彼はアルマのドレスを見て「interesting」と評しています。
これは彼女の着ているドレスが前時代的で時代遅れであることを表しています。(設定によるとこのシーンで彼女が着ているドレスは彼女自身が仕立てたもの)
つまりアルマの才能の無さがここで浮き彫りにされたというわけです。そしてレイノルズとアルマの位置関係は再び逆転します。この家における支配者はまだレイノルズなのだということが伺えますね。
こういう何気ない視覚的な誘導が非常に巧いなと思います。
他にも語りたいシーンはたくさんありますが、これくらいにしておきましょう。
とにかくポールトーマスアンダーソン監督の作品は映像の1つ1つに意味があります。ぜひとも注意を向けて欲しいですね。
アルマという名前に隠された意味
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グーグル翻訳でラテン語で「Alma」と検索をかけてみてください。
すると「nourishing」という意味が表示されます。
これって形容詞で「栄養のある」という意味なんですね。
本作『ファントムスレッド』で「hungry」という英単語を何度か耳にしませんでしたか。
例えば、レイノルズが初めてウェイトレスとして働くアルマに出会った時です。アルマが彼に渡したメモにはこう書かれていましたよね。「Dear Hungry boy」と。
他にもレイノルズがアルマとそして妹、知り合いを交えて食事をしている時に彼女は彼に「hungry」かどうかを確認します。その後2人は家に戻り関係を持ちます。
つまり「空腹な」レイノルズにとってアルマという女性は「栄養」なんですよ。
人間は体調を崩すと回復するために「栄養」が必要ですよね。作中で彼は2度毒キノコで体調を崩します。そのたびに彼はアルマが自分にとって必要な存在だと自覚します。
それは彼が自分にとって摂取しなければ生きていけない「栄養」だからに他なりません。
アルマという名前には非常に大きな意味合いが隠されていたんですね。
タグの”Never Cursed”(呪われない)に込められた意味
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さておそらく多くの人が疑問に思うであろうレイノルズがウエディングドレスのタグに忍ばせている“Never Cursed”という刺繍ですね。私もかなりいろいろと可能性を探ってみました。
まず冒頭に彼はウェディングドレスに纏わる迷信のようなものをアルマに話していましたよね。
彼がまだ16歳だったころに再婚する母親のためにウェディングドレスを作ったエピソードです。
彼の家のお手伝いさんの女性は「結婚する前にウェディングドレスに触れると結婚できなくなる」という迷信を信じていたため彼がドレスを作る際に手伝ってくれなかったそうです。
このためレイノルズには常にこの考え方が付き纏っています。
結婚前の若い女性はウェディングドレスに触れることで結婚できなくなる「呪い」にかかってしまうという迷信が常にそこにあるのです。そして彼は自分がドレスを作っているから結婚できないのだとも語っていますよね。
単純に考えると“Never Cursed”って彼の工房でドレスを作っている女性たちを「呪い」から解き放つために刺繍しているともとれますが、私は彼自身のために縫い付けているのではないかと考えます。
冒頭で彼は自分が完全なる独身であり、今後も「呪い」のために結婚できないだろう、またはしないだろうと語っております。しかし彼はウェディングドレスの中に“Never Cursed”と刺繍を施しているのです。
この矛盾を考えた時に、この刺繍は彼の願望なんじゃないかと思えてきました。本当はそんな迷信など信じておらず、運命の人が現れてくれるのを待っているように思えました。作中で「強がり」というニュアンスを匂わせる言葉が多く登場しますが、彼は迷信を盾にして強がっているだけなんだと思います。
本当は1人の女性を愛し結婚したいと強く願っているのでしょう。彼は「呪われてなどいない」と信じたいのです。
男は衣服を仕立て、女は幻の糸で男を包み込む
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男性が最初に意識する女性は母親です。これはほとんどの方がそうだと思います。
だからこそ男は母親を愛し、そして反抗期、思春期を経て母親との関係性を再構築し、母親以外の女性を愛するようになります。これが一般的な人間の発達過程と言えます。
ただ何らかの事情でそういった関係性の見直しが起こらずに、母親に執着してしまうケースももちろんあります。そして本作『ファントムスレッド』の主人公であるレイノルズもまさにその1人です。
彼がなぜドレスを作り続けるのかというとそれは母親に執着しているからに他なりませんよね。16歳の時に母親に初めて繕ったウェディングドレスの記憶を引きずっており、彼はもはや見えなくなってしまった幻影の母親のためにドレスを作っています。
常に支配的で、強い人間であろうとしていますが、彼は非常に弱い人間です。彼はその表面的な強さとは裏腹に、内面では母性を求めています。自分を丸ごと包み込み、弱さをも肯定してくれる母親のような存在を渇望しているわけです。
だからこそレイノルズはひたすらにドレスを作り続けます。
それは母親の亡霊を、そして自分の弱さを包み込んでくれる母親のような女性を求め続けるという彼の意志の表出とも言えます。毒キノコを食べて弱っている時に母親の亡霊をアルマに重ねたのはそのためです。
一方のアルマはそんな「要求多き男」の妻ないし母親のような存在になろうとします。
彼女は毒キノコを彼に食べさせると、弱ったレイノルズを献身的に介護します。弱っている自分を受け入れてくれるのは彼女だけなんだと彼に錯覚させ、結婚を勝ち取ります。
アルマは目には見えない「幻の糸」でレイノルズを包み込みます。その幻影の糸は弱い彼を様々なものから守る見えない衣服を形成し、彼を包み込みます。それはまるで母親さながらと言えます。彼は母親の幻影を追い求め、その幻影に包み込まれる日を夢見ていたのでしょう。
母性を渇望する男とそれに応えることで男を支配する女。ねじれにねじれた禁断のラブストーリーは冷や汗が止まらないほどに不気味だが、美しくもあります。
ラストシーンが意味するものとは?
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ラストシーンのレイノルズがアルマのドレスを仕立てている映像は実は冒頭30分ぐらいに一度登場しているシーンです。しかしよく注目して見ると驚くべき違いがあります。
本作中でレイノルズという人物はドレスの仕立てに関して極めて強いこだわりを持っていますよね。ドレスを着る女性は立っているだけで手出しさせない、その代わりに全てを自分の思い通りにしないと気が済まないのが彼のポリシーです。
そのため冒頭に登場した月明かりの下でドレスを仕立てているシーンではアルマは立っているだけで、その傍らにいるレイノルズだけが作業をしています。
しかしその関係性が物語を通して変化しましたよね。
一方的な支配を押し付けるレイノルズという男を逆にアルマは支配したわけです。これにより2人の間には調和とバランスが生まれました。はたから見れば異常な関係にも見えますが、あれこそが2人の見出した答えなのです。
だからこそラストシーンではアルマがドレスを仕立てているレイノルズに道具を手渡したりといった手伝いをしている描写が見られます。
このラストシーンはまさに映像だけで端的に2人の関係性の変化と、そこにもたらされたバランスを表現しています。
またレイノルズの視点で見るならば、彼がようやく母親の亡霊に重なる女性に出会えたことを示唆していますよね。
ラストシーンは16歳の時に彼が母親にウェディングドレスを捧げたことの再現にも見えます。彼は追い求めていた母性をアルマという女性の中に見出したわけです。
この他にもいろいろなことが想像できるラストシーンですね。
このように映像に多様な含みを持たせるのもポールトーマスアンダーソン監督の十八番です。ぜひ自分の解釈を見つけ出してみてください。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ファントムスレッド』についてお話してきました。
いやはややっぱりポールトーマスアンダーソン監督は素晴らしいですね。
この考察を書くために既に映画を3回通りくらい見返しましたが、全く飽きないです。それどころか回を重ねることに新しい発見がありますし、映画の色が変わっていきます。
こんな映画を撮れるのはもはや彼だけと言っても過言ではないかもしれませんよ。
ただ映像が美しく、上品なだけではありません。そこに瞬きすら許されないほどの圧倒的な情報量が詰め込まれており、それが物語のガイドラインにもなっているわけです。
確かにストーリーラインだけを追えば、彼の映画は平凡な作品に見えるでしょう。しかし見る者がそこに解釈を付与することで彼の映画には無限の可能性が生まれます。つまり彼の映画は究極に「開かれた」映画です。あらゆる可能性が広がっているのです。
だからこそ見ていて、映画の世界に引き込まれていきますし、退屈を感じることすらありません。
彼の凄さを改めて感じさせられた映画でしたね。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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