はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね是枝裕和監督の『万引き家族』についてお話していこうと思います。
カンヌ国際映画祭で最高賞に当たるパルムドールを受賞したことで話題になっている作品ですよね。
本記事では作品のネタバレに触れつつ、本作の登場人物の名前に隠された意味を解説してみようと思います。良かったら最後までお付き合いください。
なおこの記事は作品のネタバレになるような内容を含みます。
解説:登場人物の名前に隠された意味とは?
今回は本作『万引き家族』の登場人物の名前に隠された意味について解説していこうと思います。
本作は疑似家族がテーマになっております。そのため、登場人物の名前が基本的に全員偽名なんですね。
そんな彼らの偽名には物語を深く読み解いていく上で非常に重要なヒントが隠されています。
本記事では、1人1人のキャラクターの名前を取り上げて詳しく解説していこうと思います。
治
(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用
リリーフランキー演じる本作の「父親」である「治」ですが、彼の本名は榎勝太(えのきしょうた)という名前です。
これが本作における「息子」である祥太(しょうた)の名前の由来になっているのですが、これは後々お話します。
彼がなぜ「治」という偽名を名乗っているのかということに関してですが、これは樹木希林演じる初枝の息子の名前なんです。
初枝は自分の息子を女手一人で育てました。そして彼が結婚するとその奥さんと3人で暮らすようになったのですが、初枝と息子の奥さんはたびたび喧嘩するようになり、結局息子の転勤を境に関係が断絶してしまったんですね。
つまり彼が「治」という偽名を名乗って初枝と一緒に暮らしているというのは、初枝の息子の代わりになろうという意志も働いていたのだと思われます。そして初枝も彼のことを自分の息子のように思っていたんでしょうね。
初枝は「家族」で海に行った時に、自分の死期を悟ったのか小さな声で「ありがとうございました。」と告げました。
この他人行儀な挨拶がすごくキーポイントになっていると思いました。
つまり初枝は彼らのことを本当に自分の「家族」のように思っていましたし、そして彼のことを本当の「治」のように愛していたんだと思います。
しかし、死ぬということはその儚い夢が終わるということを意味します。
だからこそ初枝は最後によそよそしい他人行儀な言葉で感謝を告げたんでしょうね。初枝視点で見ると彼が「治」という名前を名乗っていることに無性に泣けてきます。
そして終盤のシーン。彼は祥太が乗ったバスを追いかけます。彼は祥太が逮捕された時に逃げようとしました。
その時はまだしっかりと「家族」という実感が持てていなかったのかもしれません。はたまた祥太を失うということの意味に気がついていなかったのかもしれません。
しかしバスを追いかける彼の姿は、彼の表情は、今まさに「家族」を失わんとしている男の、「父親」の表情だったと言えるでしょう。自分から拾って、そして捨てようとした祥太を、失うことの意味をようやく悟った彼の姿に、彼らが「家族」だったんだということの証明が見え隠れしています。
信代
(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用
安藤サクラ演じる今作における「母親」である「信代」ですが、彼女の本名は田辺由布子という名前です。
彼女がこの名前を名乗っているのは、「治」と同じ理由です。というのも「信代」という名前は元々初枝の息子の奥さんの名前でした。
彼女がこの名前を名乗った理由として私が考えているのは、母親から「愛されなかった」幼少期の経験が大きく関係しているということです。
彼女は血の繋がった母親から常に「産まなきゃよかった。」と言われて育ってきました。しかし彼女自身は母親に愛されたいと心の底から願っていたのだと思います。
そして初枝もまた息子とそして息子の奥さんと良い関係を築きたかったのだと思います。気の強い初枝は上手く関係を築くことが出来なかったことを悔いているのでしょう。
だからこそこの2人の関係性はwin-winとも言えます。
初枝は「信代」を自分の娘のように可愛がり、愛することで過去の後悔を清算しようとしています。
一方の「信代」はその名前を名乗り、初枝の義理の娘になることで自分がどんなに渇望しても手に入れられなかった「母の愛」を受け取っているんだと思います。
キリスト教的な考え方に「愛を受けた者だけが、他人に愛を注げるのだ。」というものがあります。
本作にはその考え方が反映されていて、「信代」は初枝に愛され、家族に愛されたからこそ、自分も「凛」を我が娘のように愛そうとしたのでしょうし、彼女を失った時に紛れもなく「凛」の母として涙を流したのです。
取り調べの時に自分はじゅりの母親にはなれないんだということを悟った時の彼女の表情と、「りん」との暮らしを守るために同僚からの脅迫を飲み込んで仕事を止める決断をしたときの彼女の表情のコントラストが強烈で、脳裏に焼き付いて離れません。
祥太
(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用
城桧吏が演じる今作における「息子」である「祥太」ですが、彼の名前の由来は先ほど少し触れましたように、「父親」の本名である榎勝太(えのきしょうた)の漢字違いというわけです。
「治」がなぜ彼に「祥太(しょうた)」という名前をつけたのかを考えてみました。
「治」は劇中ですごく家族というものに憧れている節があるんですよね。
例えば日雇いの労働で訪れた建設現場の一室で未完成の浴槽に入って天井を見上げ、自分がここに暮らしていたら・・・なんて妄想をしたりしています。
なぜ彼がそんなにも絵に描いたような「幸せな家族」に憧れるのかと言うと、それは彼が幼少期以来両親に自分の存在を否定されて生きてきたからです。だからこそ彼は幸せな家族に憧れていました。そして、息子として親の愛を受けられなかった自分を酷く卑下しています。
そう考えていくと彼が自分の本当の「息子」のように可愛がる「祥太(しょうた)」というのは、幼少期の彼自身の投影なんだと思います。彼は「祥太(しょうた)」を愛することで、愛を受けられなかった自分自身を救おうとしているのだと考えられます。
「治」は「祥太」に「父ちゃん」と呼んで欲しいとしきりに言っていましたよね。
これって多分、彼は存在を否定されていたがために自分の父親に「父ちゃん」と呼ぶことすら許されなかったんだと推察できます。
だからこそあの頃の自分が出来なかったことを「祥太」にはして欲しいし、そうすることで過去の自分を愛そうとしているんです。
考えれば考えるほどに「祥太」という名前は切なく感じられます。
スポンサードリンク
さやか
(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用
「さやか」というのは本作で「長女」に当たる亜紀が風俗店で働く時に用いている源氏名です。
彼女がなぜこの名前を用いるのかということに関してですが、この「さやか」というのは彼女の血を分けた妹の名前なんです。
亜紀は妹が生まれたことにより、妹が親の愛を一身に受け、自分のことを顧みなくなったことから家を飛び出しました。だからこそ彼女はそんな妹への、家族への復讐の意味合いを込めて風俗店という場所で「さやか」を名乗っていると告げました。
彼女が風俗店でこの名前を用いていること自体が復讐チックではあるのですが、それ以上に彼女の風俗店での振る舞いにも注目したいと思います。
彼女は実は店ではあまり人気がないんです。それは彼女が「さやか」という名前で「愛されないこと」を経験することで、満足感を得ているのではないかと考えられます。
また彼女が店で出会った男性と恋に落ちるのですが、その人を抱きしめている時に彼女は自分は亜紀なんだと強く実感しています。つまり彼女は亜紀として誰かから愛されることに飢えているんだと思います。
だからこそ彼女はあの家族といるときには亜紀という本名を用い、風俗店で「さやか」という名前を使うのです。そして彼女は初枝にひどく懐いています。これは彼女からの愛を亜紀としてひとえに受けたいという願望の表れなのでしょう。
そんな亜紀だからこそあの「家族」が偽物だったんだということを警察に突きつけられた時に全部白状してしまったんでしょうね。彼女があの「家族」の中にはあると思っていた本物の愛が全て偽物だったと突きつけられたわけですから。
終盤に誰もいなくなったあの家に彼女は1人で戻って来ます。「家族」で過ごした部屋を1人見つめる彼女。彼女は何を思うのでしょう。最後には自分が証言してあの「家族」を壊したわけです。
私は亜紀はそれでもなおあの「家族」にあった本物の愛情を信じたかったんだと思います。信じたくて、あの部屋を見て、そこで過ごした時間を思い出して、確かめたかったんだと思います。事実としてはあの「家族」は確かに偽物でした。それでも自分がここで過ごしていた時に感じてきた思いは?愛はどうなのでしょうか?それは全て偽物だったのでしょうか。
その問いに亜紀がどんな答えを出したのかどうかは描かれません。
しかし、彼女はあの部屋を訪れて、もう1度本物の愛を信じ直すことが出来たんじゃないかと私は希望的な観測をしております。
凛
(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用
佐々木みゆ演じる「凛」は本作における「末っ子」で、本名はじゅりです。
「凛」という名前は、彼女のことがニュースになった際に、「信代」が彼女を家に引き留めるためにつけた偽名です。
そもそもの由来は、母親が水商売をしているために嫌われていた幼少期の彼女と唯一分け隔てなく接してくれた友人の名前から取ったものでした。
「凛」という名前は名前そのものよりもこれが「信代」が命名した名前であるという事実の方が大切です。
「信代」は「凛」の母親になろうとし、そして彼女には自分とは同じような人間になって欲しくないからと、彼女が虐待されていたであろう生家に戻すことを拒み、自分の手で育てようと試みました。
しかし結局彼女は「母ちゃん」と呼ばれることもなかったし、彼女の本名である「じゅり」という名前を知ることすらありませんでした。
彼女はじゅりの母親にはなれませんでした。それでも彼女は紛れもなく「凛」の母親だったんだと思います。
「母ちゃん」と呼ぶことはありませんでしたが、じゅりが最後にあの家族と暮らしている時にもらった「宝物」を大切にしているのを見ると無性に泣けてきますね。
ビー玉の数え方も何もかもが信代に教えてもらったものです。
あの「家族」と暮らしている時に教わったことを忘れていない彼女の姿に本作の「家族」というテーマが集約されているようにも感じられました。
ラストシーンに込められた意味とは?
(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用
さてここまでの説明で本作において「名前」というモチーフがすごく重要な意味を持っていることがお分かりいただけたかと思います。
本作中では、親から子に「教える」という行為が凄く印象的に描かれています。
良いことも悪いことも親から教えられたことは子供にとっては全てなのです。
1~10の数え方も、服を買っても叩かないということも、万引きも、学校に行くことの意味も。何もかも親に教えられたことを自分の中へと組み込んでいきます。
そして親から子に一番最初に与えられるものが「名前」なんですよね。
だからこそ映画『万引き家族』において「名前」が非常に重要な意味を持っていたわけです。
そしてそれと共に親は自分を「父」「母」の敬称で呼ばれたいと願うんです。
どんなに思っていてもやはり口に出さないと伝わらないこともあるのです。信代が取り調べで「あなたは何と呼ばれていたの?」と聞かれ、涙したのはそのためです。
しかし最後の最後で本作は「名前」を口に出すことで「家族」の証明をするわけです。
バスの中で祥太が声にならない声で告げた「父ちゃん」。ラストシーンでベランダから身を乗り出した「凛」。彼女が告げたのは「父ちゃん」なのか「母ちゃん」なのか。それは分かりません。
ただ冒頭の治と祥太があのアパートのベランダにやってきた時、「凛」は何も反応しませんでした。
しかし、ラストシーンでは「凛」はベランダの外に見た何かに反応して、身を乗り出したのです。
外にいたのは治だったのか、はたまた他の人だったのか。
ノベライズ版ではここで「声にならない声で呼んで」という記述があります。そう考えるとあの家族の誰かが来ていたのかもしれません。
明確に描かれてはいませんがベランダの外に来たのが「家族」であることは間違いないです。そして本作はそんなベランダに佇む小さな少女の小さな変化に「家族」の何たるか?という壮大な問いに対する答えを託したのです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『万引き家族』についてお話してきました。
名前1つ1つにこれだけ重厚なメッセージ性を孕ませてくる是枝監督は本当に素晴らしいですね。
名前というモチーフは血縁関係のある両親とその子供の契約の証明みたいなものです。
それを疑似家族の中に適用することで、それぞれの登場人物の心情や願望を具現化することに成功したわけです。これはとんでもない脚本だと思いました。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
関連記事
・是枝監督の日本アカデミー賞作品賞受賞作『三度目の殺人』
本作『万引き家族』同様キリスト教的なモチーフが多く登場している『三度目の殺人』の解説・考察記事です。
作中のモチーフを深く掘り下げて書いています。
・是枝裕和監督のパルムドール受賞は必然??
近年のカンヌ映画祭の傾向やカンヌ映画祭の持つ特徴について書き、是枝裕和監督が『万引き家族』でパルムドールを受賞した理由を探りました。
・是枝監督書き下ろしノベライズ
この小説版を読むと、映画版では言語化されなかったシーンに是枝監督がどんな思いを託したのかが分かります。
名前の理由を読んでいろいろ腑に落ちました。
「声に出して呼んで」
というタイトルを是枝監督がつけたかったと聞き、それも腑に落ちました。商業的にはこれではどうか?万人に分かりやすいセンセーショナルなネーミングってことで、
「万引き家族」
になったそうで、盗んだのは絆でした、というコピーがありました。
それは 今更まあいいとして、
いろいろなサイトで、信代の妹が亜紀と書かれているのがおかしいとおもい、ここに辿り着きました。
あの家族はだれも血が繋がってないはず。
亜紀の両親からお金をもらっていたおばあちゃん。そして両親がおばあちゃんと住んでいることを知っていたこと、などが最後に分かりますが。この、亜紀と家族の関係がいまいち希薄な気がして、信代の妹かとおもえばふむふむと納得するのか、そういう噂?が広まってますが。それじゃ最後の取り調べのシーンの辻褄が合わないんで。
@葉さん
コメントありがとうございます!
亜紀は信代の妹ではないですね。系図的には初枝の夫が不倫して作った子の子ということになりますかね。
亜紀は自分の妹ばかりが愛されて、自分が愛されない現状を憂いて、あの家を飛び出してしまったんですね。彼女が初枝に懐いているのも、初枝が自分に注いでくれるのは本物の愛情だと思ったからです。
だからこそその愛すら金銭目的だったのではないか?という疑問を突きつけられた亜紀はショックだったんでしょうね。そして自らの証言で家族を壊しました。
私は繋がりが軽薄だとは感じませんでしたかね。むしろ純粋で偽りのない愛を探し求めていて、それを唯一感じられたのが、あの家族だったんじゃないかと思います。