みなさんこんにちは。ナガです。
今回はですね映画『ワンダー君は太陽』についてお話していこうと思います。
本記事のテーマは教育的な視点から見た『ワンダー君は太陽』です。
この映画は学校におけるいじめ問題や友人関係の問題、親が子供をどう教育していくべきかという視点から見ても非常に有益な映画だと思います。
ですので、今回は本編の内容を踏まえつつ教育的視点から見た本作の素晴らしさを解説・考察していきます。
本編の内容の一部ネタバレを含みますので、ご了承ください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ワンダー君は太陽』
あらすじ・概要
全世界で800万部以上の売り上げを誇るR・J・パラシオ著の小説「ワンダー」を、スティーブン・チョボウスキー監督・脚本で実写映画化した作品です。
スティーブン・チョボウスキー監督は、映画『ウォールフラワー』でメガホンを取ったことでも知られています。
本作の主人公はオギーという10歳の少年です。彼は、生まれつきの障がいにより、人とは違う顔をもっています。
しかし、彼は『スターウォーズ』を愛し、宇宙飛行士に憧れる普通の男の子です。
幼い頃からずっと母イザベルと自宅学習をしてきた彼は、小学5年生になって初めて学校へ通うことになりました。はじめは同級生たちから白い目で見られたり、避けられたりするオギーでしたが、オギーの行動が同級生たちを少しずつ変えていきます。
キャストには映画『ルーム』で世界中から注目を集めた子役ジェイコブ・トレンブレイがオギー役として参加したほか、『エリン・ブロコビッチ』のジュリア・ロバーツが母イザベル役を演じ、ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』にも出演したオーウェン・ウィルソンが父ネート役をそれぞれ演じます。
予告編
『ワンダー君は太陽』解説・考察(ネタバレあり)
親は子供を認めなければならない
(C)2017 Lions Gate Films Inc. and Participant Media, LLC and Walden Media, LLC. All Rights Reserved.
子供が適切に発達していくために欠かせないのが「自尊心」です。
自尊感情が低いということは、つまり自分を大切に思えないということに繋がります。
自尊心の欠如のより、自分は価値の無い人間だと錯覚して、自暴自棄になって非行に走ったり、何かに依存してしまったり、その心の空白を埋めるために「いじめ」等の行為を通じて他人に危害を加えることすらあります。
つまり子供の発達過程において、「自尊心」の発達は非常に重要なのです。しかし、日本では今この自尊感情が発達していない子供が多いことが問題になっています。以下のグラフをご覧ください。
これは日本、韓国、中国、アメリカの高校生に「私は価値のある人間だと思うかどうか」というアンケートを行った際の結果をグラフ化したものです。
自尊感情の高い生徒の割合が非常に高いアメリカと比べると、日本の最上位グループはわずか約7分の1です。
何と4カ国中で自分が価値のある人間であるとポジティブに捉えている生徒が40%にも満たないんですよね。50%を割り込んでいるのは日本だけという現状です。
これでは日本は自分のことを大切に思えない人ばかりということになってしまいます。自分を大切に思えない人間が他人を大切に思うことはできません。よりよい社会を築いていくためにも日本は子供の自尊感情を如何に向上させていくかを考えなければなりません。
ただ、自尊感情を高めることに寄与するのは本人の努力や自己評価の向上だけだと勘違いしている人がいます。これは全くもって誤りです。確かに自己評価を高く設定することは本人の努力次第です。しかし、それだけでは自尊感情って微塵も高まらないんです。
何が大切なのかというと、他人から認められること、つまり他者から評価されることなんです。
長谷川孝治(信州大学人文学部)は自身の論文の中で、如何にすれば自尊感情が高まるのかを検証しました。そしてその中で分かったきたのが、自尊感情の向上には自己評価を高く設定することと他人から評価されるという2つの要因が必須であることです。
映画『ワンダー 君は太陽』を見ていきましょう。主人公のオギーは10歳になり、初めて学校に行きます。彼はそれまで母からのホームティーチングで勉強していました。常に家族と過ごしていたわけです。
両親は常にオギーを「認めて」きたんでしょうね。彼は自分の逆境にも負けずに非常に前向きに生きようとしています。
しかし、学校に行き、他者と関わることで彼は必然的に自分に対する低い評価を向けられることになります。その代表格がジュリアンであるわけですが、学校に行くと彼は常に好奇の目に晒されることになります。
そんな周囲から「認められない」状況が彼の自己評価を揺るがせ、彼は自分が「醜い」人間であると嘆きます。
そんな時にオギーの母イサベルが取った行動が素晴らしいですよね。彼女はただオギーを「認めました」。自分があなたのことを一番理解していて、そしてその私があなたのことを「認めているんだ」という事実を彼に伝えました。
皆さんも何気ないことでも周囲の人を認めるようにしましょう。互いに認め合うことでお互いに自尊感情を高め合うことが出来、より良い人間関係を築くことに繋がります。そして最終的には、それが社会を良くしていくことにも繋がるんですね。
オギーの母イサベルが取った何気ない行動は、当たり前に見えて、すごく大切で意義のある行動です。「認める」それだけのことです。でもそれが何よりも大切なんだとこの映画は気づかせてくれます。
「手のかからない子」にも愛情を
皆さんの中にも親から「手のかからない子」として育てられてきた人はいるんじゃないでしょうか。
そしてそういう子は兄弟(姉妹)がいると決まって両親の注意はそちらに向けられているんですよね。手がかからないからこそ、親と言うのは手がかかる方に注意を払い、自分の時間を割くものです。
これは極めて合理的と言えます。
しかし合理的という言葉が通用しないのが教育の世界です。
学校の現場でもしばしば「問題児」と呼ばれる子がいて、そういった子に教員がかかりっきりになっている間に、「手のかからない子」が放置されて、そういう子が心の闇を深めていくというケースが存在しています。
「手のかからない子」には手をかけなくていいという認識は当然大きな間違いなんです。「手のかからない子」にも一様に注意を払われ、時間を割いてもらえる権利があるはずです。
それを蔑ろにすると、その子は自分が「愛されていないんだ」と錯覚するようになってしまいます。そうするとその子は愛情への渇望から両親や大人の気を引くために非行に走ったり過激な行動をとるようになってしまいます。
また、愛情への渇望と「良い子でいなければ」という自意識の間で苦しむ子もいるでしょう。
映画『ワンダー君は太陽』において「手のかからない子」というのが、オギーの姉であるヴィアになります。
彼女は幼少の頃から親の手が離れないオギーのために、家族の中で軽んじられてきました。両親の意識としては軽んじているつもりはもちろんなのでしょうが、それでも両親の注意はいつもオギーに向けられていました。
しかしそれでも彼女は「良い子でいなければ」という自意識を持っていました。だからこそ彼女は苦しむんですね。次第に家に自分の居場所がないのではないかとか自分は愛されていないのではないかといったネガティブな感情に支配されていきます。
母のイサベルも基本的にオギーにかかりっきりでヴィアのそんな様子の変化に鈍感です。それでもオギーが学校に馴染み始めると、イサベルはそんなヴィアの変化に気づき始めます。
少しずつ関係を修復しようとしますが、親子の関係を紡いでいくのって本当に難しいことです。接近しては離れてというもどかしさを伺わせます。
それでもその停滞感を打ち破るのはただ「伝える」ことです。イサベルは演劇で主演を演じたヴィアに「いつもあなたのことを見ているわ。」「あなたのことを愛しているわ。」と伝え、抱きしめます。
皆さんは「手のかからない子に手をかけて」というお話を知っていますか。生まれた赤ちゃんは母親に抱きしめられないまま放置されていると次第に泣かなくなるそうなんです。いわゆる「サイレントベビー」と言われる赤ちゃんです。これはなぜかと言うと、自分は愛情を注いでもらえないんだと諦めてしまうからなんです。赤ちゃんが泣くのは、愛情の渇望の表れなんだそうです。
このエピソードは印象的ですよね。つまり「手のかからない子」というのは、心の底では愛情を欲しているんです。だからこそそんな子も泣きじゃくっている子と同様に抱きしめてあげなければならないのです。
イサベルがヴィアを抱きしめたようにです。
大切なのは見守ってくれていること
(C)2017 Lions Gate Films Inc. and Participant Media, LLC and Walden Media, LLC. All Rights Reserved.
近年日本では「いじめ」問題が過熱しています。
そしてそんな「いじめ」の被害を受けた子供が自殺という選択をしてしまうケースも少なくありません。
なぜ子供がそこまで追い込まれてしまうような状況になるのでしょうか?
それはいじめだけが原因だけなのでしょうか?
いじめに追い詰められてしまう子は、そのことを誰にも相談できないという絶望と、自分のことを誰も見てくれていないのではないか、自分の味方をしてくれる人はいないんじゃないかという不安の二重苦に苛まれています。
つまりいじめそのものもそうなんですが、それと共に頼れる人がいない、自分を見てくれている人がいないという絶望感が子供をより深い苦しみの底へと追い詰めてしまうんですね。
この社会から「いじめ」を排除することは悲しいですが不可能です。人間と人間が関わり合う中で「いじめ」という事象は当然起こるものとして考えなければなりません。
では、どうしなければならないのかと言うと、子供に自分を「見守ってくれている人」がいることをきちんと自覚させ、追い詰められた時に頼れる場所を設けてあげることです。
当ブログ管理人も小学生の時にいじめ(仲間はずれ)にされたことがあります。そんな時でも先生や親に相談すれば良いという意識が確かにありました。それがどれだけ心強かったか。自分を見てくれている人がいるという意識だけでこんなに心が強くなれるんだと思いました。あの時の気持ちは今も忘れられないです。
映画『ワンダー 君は太陽』において主人公のオギーはジュリアン達から「いじめ」に遭います。
それでも彼の両親が、彼の友人が、彼の担任の先生が彼を見守ってくれていました。ブラウン先生がオギーの目を見て、「困った時はすぐに言いに来るんだぞ。」と声を懸けているシーンが特に印象的でした。
子供の心を何より支えるのは見守ってくれてくれている人の存在です。映画『ワンダー君は太陽』におけるオギーの静かな勇気の秘密は、彼を支えてくれている人にあったわけです。
「空気」を打ち破る強さを教えること
(C)2017 Lions Gate Films Inc. and Participant Media, LLC and Walden Media, LLC. All Rights Reserved.
過去にいじめにより命を絶った中学三年生の男の子が作文の中でこんな言葉を残していたことが、日本社会に大きな波紋を投げかけました。
「いじめの原因は空気だ。解決するには、みんなが親友になること。笑顔の大切さを忘れずにいたい」
いじめを積極的に行う子はほんの一部なんです。ただそれ以上に怖いのが、その子らに同調し、「いじめ」に無意識に加担してしまう子たちが作り出す空気なんです。
以前にドラマ『リーガルハイ』のスペシャル回でもこの「いじめと空気」の問題を取り上げていましたね。
「いじめ」に同調してしまう子の心情というのは、自分がいじめられたくないという同調圧力への敗北です。自分がいじめられたくないがために、「空気」に同調して、「いじめる」か「いじめられるか」の選択の踏み絵を迫られると、消極的な意志で「いじめる」を踏んでしまうんです。これが本当に恐ろしいことです。
アメリカの学校でこんな実験が行われたそうです。
同調圧力の大きさを示す、あるアメリカの実験がある。あるカードに描かれた線分と同じ長さの線分の描かれたカードを探すというものである。その際に被験者の中にサクラを用意し、明らかに違う線分のカードを揃って選んでいく。するとその後に選ぶ被験者の75%が、明らかに違っているカードを一旦選ぶという。自己主張や個性を尊ぶアメリカでさえこうなのである。アッシュの同調実験と呼ばれるこの実験は、同調圧力がいかに強い力を持つかを物語る。
この実験はいかに同調圧力が人間の行動に影響を与え、善悪の感覚を鈍らせるかを表しています。非常に興味深い結果ですよね。
映画『ワンダー君は太陽』の中で印象的なのがサマーというキャラクターのセリフです。「私は正しいことと親切なことのどちらかを迫られたら親切な方を選ぶ。」というものです。
これってまさにサマーが自分は同調圧力には屈さないということを示した言葉ですよね。「正しいこと」って考え方に寄りますが、「自分にとって」という条件を加えるならば、「空気」に同調してしまう方が圧倒的に「正しい」んです。
なぜなら自分の身は守られるからです。それでも「親切な方」を選ぶということは、すなわち「空気」に逆らうということを表しています。
サマーはそんな同調圧力に負けない強い子なんですよね。そしてオギーの親友であるジャックが一度は同調圧力に負けてしまうシーンもすごくリアルです。
ジュリアンの前では彼らの友人グループに合わせるために、オギーの悪口を言ってしまうんですよね。
これって本当にリアルな「空気」です。
それでもジャックはその過ちを悔いて、自らの手で「空気」を打ち破ります。そしてこの作品の面白さはクラスの雰囲気がオギーに友好的な方向へと傾くにつれて彼の周りに人が増えていくという展開です。これがもうリアルすぎて驚きました。
「いじめ」を解決するために、いじめをしている人を断罪するというのは確かに一番直接的な解決方法かもしれませんが、実はこれは非常に難しいんです。
では、どうするのかと言うと「空気」を変えるんです。
全員の意識を変えることは難しいでしょう。しかし、集団の中に数人でも「空気」に逆らえる存在がいれば、間違いなくクラス全体の「空気」を「いじめ」をしないという方向に傾けることが出来ます。
本作の後半でオギーの周りに人が増えていくのは、彼と仲良くすることがクラスの「空気」になったからなんですよね。
確かに最初に勇気を示したサマーとジャックは「空気」に逆らう勇気を持った存在です。
しかしそれ以外の子たちってあくまでも「空気」に従っただけなんです。これが怖いところですよね。
でもその様子をリアルに描いているところが『ワンダー君は太陽』の恐ろしさでもあるのです。
映画『ワンダー君は太陽』が伝えたい大切なことというのは、終盤にトゥシュマン先生が壇上で話していることですよ。自分で何かを変える勇気と力を持ち、それを正しく行使できることです。
勉強ができる子を育てるのも大切ですが、それ以上に教育現場はサマーやジャックのような「空気」を破れる人を育てるために施策を立てていかなければならないと思います。
親は子供の過ちも認めなければならない
映画『ワンダー君は太陽』という作品には、基本的にヴィラン、つまり悪役がいなんです。
「いじめ」の主犯格だったジュリアンはどうなの?と思う方はもちろんいると思いますが、彼もまた両親の教育の被害者とも言えます。
彼の両親がトゥシュマン先生と話している様子を見てもらえれば分かると思うんですが、彼の両親は自分の息子の間違いを絶対に認めないんです。
そんな教育方針を取っていたら、ジュリアンがプライドが高く、自分の間違いは絶対に認めないという性格になっても無理はないですよね。
だからこそジュリアンに非がないというのは少し無理がありますが、彼が「いじめ」をした原因の一端があの両親にあることは明白です。
しかしだからと言ってあのジュリアンの両親が悪役だと言い切ることもできません。なぜなら自分の息子を正当化し、かばい続けることが彼らなりの息子への愛情なんです。
だからこそ映画『ワンダー君は太陽』にはヴィランがいないんです。
でもジュリアンとその両親の関係を見ても分かる通りで、子供の間違いを認めないというのは愛情ではないんですよ。むしろ愛情があるならば、子供の過ちを認めてあげなければならない。
そういう善悪の正しい判断がつく子に育てるのは、子供の教育の第一義的責任を背負っている両親の役割です。ただ彼の両親はそれが出来なかった。
だからこそトゥシュマン先生が彼にそれを教えたんだと思います。
彼の最後の表情は心から反省している様子が滲み出ていました。
だからこそ切ない。それでも彼がここで自分の過ちをきちんと自認できたということは彼の将来を明るく照らしてくれる一筋の光になることでしょう。
多面的に見ることの重要性
(C)2017 Lions Gate Films Inc. and Participant Media, LLC and Walden Media, LLC. All Rights Reserved.
本作『ワンダー君は太陽』の特徴は何と言っても物語を多面的に描いていることです。作品の中でオギーだけでなく、彼を取り巻く人物に視点を移しながら映画が進行していきます。
これが子どもの発達に非常に重要だと思います。子供の頃って誰しもが自分の視点からしか物事を捉えられないものです。しかし、学校という小さな社会で他者と関わる中で自分以外の人間の立場になって行動するという姿勢を学んでいきます。
そしてこの作品はまさにそんな多面的な思考を手助けしてる映画でもあります。1つの事実をいろいろな人の立場から捉える事で、全然違った思いや意図が浮かび上がってくるんです。
ジャックとオギーの関係性なんかは非常に面白いですよね。オギーはジャックに陰口を言われたと思い、絶交してしまいます。しかし、ジャックはオギーを一番の親友だと思っていて、でもジュリアンの前でオギーの肩を持つ勇気がなくて流されてしまったわけです。オギーの側からはこれは分かりませんし、ジャックから見てもオギーが自分を避ける心情は分かりません。
しかしそれを乗り越えて、関係を築き直すことが出来るのが、人間の「想像力」の力なんですよね。そしてそれを養うことが子どもにとっては何よりも大切なことです。
映画『ワンダー君は太陽』はそんな人間関係の築き方の1つのバイブルとも言える作品になっています。
そして先ほどのリンクでも紹介している『ワンダー』の原作の続編にあたる『もうひとつのワンダー』ではジュリアンの視点から捉えた物語が描かれています。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ワンダー君は太陽』を徹底的に教育的な視点からのみでお話してみました。
確かにこれは映画ですし、フィクションです。だからこそ少し美談的と言うことはできます。それでもこの作品から、特に日本人は学ぶべきことが多いと思います。
小さなお子さんがいるご家族は、この映画をお子さんを連れて見に行くことをおすすめします。
親が子供を育てるに当たって大切なことがたくさん詰まっているのはもちろん、子供が他人と関わる中で何が大切なのかということも描かれています。そのため親子で学べる映画なんですよね。
素晴らしい作品でした。
また併せて親子で見て欲しい映画として『パパはわるものチャンピオン』というプロレスを題材にした絵本原作の映画をご紹介しておきます。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
関連記事
・『ワンダー君は太陽』で描かれたJKローリングも提唱した「想像力」の力とは?
『ハリーポッター』シリーズの作者として知られるJKローリング師はかつてハーバード大学の卒業式で「想像力」が何よりの人間の力だと語りました。
映画『ワンダー君は太陽』はまさしく「想像力」で世界を変える映画です。
・『ワンダー君は太陽』原作小説
自分も試写会で今作を観たのですが、観終わっての感想は「感動した」や「泣いた」ではなく「考えさせられることが多かった」でした(もちろん感動しましたし初登校シーンですでにダムが決壊しましたが)。安易にいわゆる【泣ける映画】にしてほしくはないんですが、女性が涙を流している様を映して泣けるアピールした宣伝を映画館で見た時は「あ~あ・・・」ってなっちゃいました。
監督が学校での上映もしたいという旨の発言をしているインタビュー記事を読んだのですが日本でもそんな動きが出てくれたら嬉しいですね。
@たぬきさん
コメントありがとうございます!
自分も初登校シーンですでに涙腺決壊してました笑
そうなんですよね〜泣ける映画ではあるんですが、それ以上に考えさせられる映画で、特に今の日本の子供たちに見て欲しい(育てる親世代にも)大切なことがたくさん詰まってますよね!
学校で上映するのにはすごく向いてる映画ですね!実現したら面白いです(^^)