はじめに
アイキャッチ画像:©2016 Deafbird Production 「LISTEN」予告編より引用
本日少し遅くはなりましたが、予告を見て絶対鑑賞しようと心に決めていた作品「Listen」を見てきました。この作品はサイレント映画でかつアートドキュメンタリーという少し珍しいジャンルの映画であす。
本作の出演者たちは監督も含めて全員が聾者なんですよ。そして彼らがこの作品で問いかけるのは「音楽とはいったい何なのか?」というメッセージとなっています。
それに合わせて、劇場では耳栓が配布されるという少し変わった試みもなされています。耳栓をすることで鑑賞者は純粋に出演者たちが織り成すアートを堪能することができるのです。
そんな少し特殊な映画に非常に感動したので、今回の記事を書くことにしてみました。
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衝撃の映画体験
私は映画の前に流れる予告が終わったのを確認すると、配布された耳栓を耳につけました。
するとほぼ完全に外部の音が遮断されました。先刻まで映画の予告映像を大音量で聞いていたこともあってか、予想以上の静寂にしばし驚きを隠せませんでした。
しかし耳という感覚器官をシャットアウトしたことで、徐々に自分の感覚が研ぎ澄まされていくのがわ分かりました。すると私は徐々にある「音」を感じ始めたのです。それは自分の心臓の鼓動、生命が息づく「音」です。普段さまざまな「雑音」に囲まれて暮らしている我々がなかなか気づくことができない「音」。その「音」がスクリーンに流れる出演者たちのサインダンスと交錯します。
この映画を見ていると、自己表現とはまさに生きることそのものであるということを再確認させられますね。なぜなら映画を作る段階ではこの作品は完成していないのです。
映画館で我々が自分の生命の「音」を聞きながらこの作品を見ることで、「Listen」という1つの映画体験が完成するように設計されているんです。まずこの点に感激しました。
©2016 Deafbird Production 「LISTEN」予告編より引用
音楽とは何か?
次に音楽に音を使わないということに対する純粋な驚きがありました。これに関して監督が、伊藤亜紗さんの「目の見えない人はどう世界を見ているのか」という書籍を挙げて話されていました。
この書籍は目が見えない人にとっての美とは何かにフォーカスした内容ということです。ここで注目すべき論点は、目の見えない人は、目が使えないのではなく 、目を使わないという捉え方でした。
目が見える我々は情報の大半を視覚に頼ってしまう。しかし、目が見えない人は、視覚から情報を得られない代わりに視覚以外の感覚から情報を取り入れることに特化しているということです。視覚情報に頼らない新たな世界の捉え方というまさに発想の転換なのです。
この著書にこんな一節があります。
「私が捉えたいのは、『見えている状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態』ではありません。視覚抜きで成立している体そのものに変身したいのです。そのような条件が生み出す、体の特徴、見えてくる世界の在り方、その意味を実感したいのです。」
つまり障害は欠落ではなく、差異なのであるということを伊藤氏はその著書で述べているのです。
このことを踏まえて考えると、 耳栓をして聴覚情報を遮断しただけの我々は確かにこの作品に登場する人たちの状態を察することは到底できないでしょう。それは重々承知であります。
しかし、我々はそんな声を出せない音楽ではなく、声を出さない「音楽」を生き生きと表現する出演者たちの姿に、生きることの力強さのようなものを感じるのです。彼らは我々が一般に知るところの音楽というものを知りません。
一方で、彼らにとっての「音楽」とは、自分の中に流れる生命の流れを、感情をダイレクトに体全体で表現することなのです。
©2016 Deafbird Production 「LISTEN」予告編より引用
まとめ
この作品は公開されてから少し時間がたってしまったため、上映している劇場もかなり少なくなってきました。
サイレント映画と聞くと敬遠されがちなのかもしれませんが、思い切って飛び込んでみてほしいと思います。
出演者たちの心から湧き上がる思いを体現したサインダンスにきっと何か感じるものがあると思います。
さらに言うなれば、これはまさに映画を超越した究極の体験と形容するにふさわしい作品です。 この記事を読んで、1人でもご自身の鑑賞予定リストの一つにくわえていただける人がいるならば嬉しいですね。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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