はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
さて、本日は試写会にて大根仁監督の新作「SCOOP」を見てきました。大根仁監督の作品というと「モテキ」や「バクマン。」といった漫画原作の映画化作品が有名ですよね。
そしていずれの作品にしても評価が高い。それは単純にマンガを忠実に映画として再現しているからではありません。
大胆に原作に手を加え、かつ独特のカット、編集、音楽の入れ方といった演出で大根仁監督作品として完成させてしまうのです。そのリズミカルでテンポが良い作風は見ていて非常に爽快であり、見ている人に快感を与えてくれます。
今回大根監督がメガホンをとった「SCOOP」という作品のルーツは大根監督が学生時代に見たテレビ映画「盗写1/250 OUT OF FOCUS」という作品にあるそうです。
この作品を見て以来、自分がいつかこの作品を映画化するんだとひそかに温め続けてきた企画がようやくこうして放映されるということになったのです。
作品のプロット自体は中年カメラマンの静と新人カメラマンの野火たちによるバディムービーの様相を呈しながらも、静の友人チャラ源の事件を機に物語は思わぬ方向へというものとなっています。
仕掛けられた罠とは?
ここから作品について触れていきたいのですが、まずこの映画の批判点としておそらく真っ先に上がるであろうものを挙げておきます。それは福山雅治とチャラ源の過去についての描写があまりないことです。
ラストの展開的に2人の過去についてもっと触れておかないと厚みが出ないし、感動が薄れる。とこんな意見は当然出てくることでしょう。
しかしですよ。私はここを描かなかったことこそ大根監督が仕掛けた巧妙な「罠」だったと思っています。
大根監督は「バクマン。」を映画化した時に絶対に入れることができたであろうとあるシーンを入れてきませんでした。というのは真白と秋人がジャンプで1位を取った時に、真白が父親である川口たろうの墓参りに行くというシーンです。
しかし大根監督はこのシーンを映画に採用しなかったのです。
これは、単純に映画のコンセプトが「友情」「努力」「勝利」だったとか、原作者が感動ものにしないでほしいという要望を出していたという話抜きにして、 大根監督の自分の映画に対する自信の表れなのだと私は思いました。
人間って不思議なことに感動できた映画を傑作だと錯覚してしまうんです。だから大したことない作品でも泣けたらそれでお茶を濁してしまうことがあります。
つまりお涙ちょうだい要素というのは、ある種映画製作陣の逃げともとれるわけです。安易に感動を誘うシーンを入れてしまうというのは裏返すと自信の無さの表れとも考えられるのです。
しかし大根監督はそこに頼らずに自分の持つ演出技術で観客を魅了できるというだけの確固たる自信と信念を持っています。だからこそ「バクマン。」に墓参りにのシーンを入れず、作品の流れとリズム感、テンポに重点を置き、あえてエモーショナルなシーンを排除したのです。
そして今回の「SCOOP」という作品。この作品で一番重要な部分がどこかと考えてみると、それは間違いなく物語の「転」に当たるでしょう。それは元妻とその彼氏を殺したチャラが静に電話をかけてくるシーンだと思います。
しかしですよ。このシーンになるまでこんな展開になることをだれが予想できたでしょうか。確かに伏線がなかったと言ったら嘘になります。しかし「転」に至るまでの部分でチャラという存在はそこまで大きいものではありませんでした。
あくまでも彼は静の親友であり、静が今のような状態に甘んじる結果となった過去の一件に関わった存在というだけだったのです。
これはつまり我々は大根監督の策略にまんまとはまってしまったということになります。静とチャラの過去を映画内で仮に明確に描いたとしましょう。
するとどうなるでしょうか。
作品中でのチャラの重要度が増してしまい、鑑賞する側に今後チャラは何らかの形で物語に絡んでくるんだと勘付かせてしまういます。
つまり2人の過去はあえて描かれなかったのです。チャラという存在を作品の「転」に至る部分まで小さくしておくことで、観客の受ける衝撃はより大きくなるのです。
また、静とチャラが朝まで飲み明かしたシーンでの別れ際、チャラはまたエースカメラマンへの道に戻って欲しいと告げ、自分は身を引く素振りすら見せます。つまりチャラはあくまで静が芸能スキャンダルカメラマンに甘んじ、自分の夢の追及を諦めたことのシンボル的存在なのです。
しかし同時に、このシーンはチャラという存在がこの作品での役割を全うしたと見せかけるためのミスリード的な機能をも果たしているのです。
この2つの罠があまりにも巧妙だったためにこの作品は「転」の部分で今年の映画作品ナンバー1といっても過言ではないほどの衝撃を与えてくれました。
ここで最初の批判意見に改めて反論しておきたいと思います。単純に2人の過去が描かれないから、感動が薄れるというのは想像不足ではなかろうか?
天秤があるとしましょう。片方に乗ってる物体の重さがわからないものの天秤が釣り合っていたならば、それは同じ重さなのです。つまり静が終盤チャラに死をも覚悟しながら付き添うという所から、静のチャラに対する借りの大きさは相当なものだということぐらい容易に察せるでしょう。
大根監督もおそらくチャラと静の過去を明確に描写するかどうかで迷ったはずです。しかし、最終的に作品をこういう形で撮ったということは、大根監督はこの作品において感動よりも、「転」の部分の衝撃を与えたかったのだと思います。
この作品でも大根監督は安易なお涙ちょうだい展開には逃げずに、自分の作品に対する圧倒的自信を誇示したのです。予告でも一切情報を出さず、さらには本編において伏線をあまり匂わせませんでした。さらには鑑賞する側を完全にミスリードしさえしました。それ故に巧妙に仕組まれた物語の転調部分にはただただ脱帽なのです。
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込められた決意
ここからこの記事でもう一つ取り上げたいテーマについて触れていきたいと思います。それは大根監督がこの作品にどんな決意を込めたかということです。
まず、言っておきたいのはこの作品はあくまで一級のバディムービーであり、大根監督が「盗写1/250 OUT OF FOCUS」に影響されいつか自分でメガホンを取ろうと温め続けてきた作品であるということです。
おそらくこの作品を見たら、「ジャーナリズムの本質とは何か?」みたいなかしこまったテーマで考察する人も出てくるでしょう。しかし本編をよく思い返してほしい。野火が編集会議で言ったセリフを思い返してほしいのです。
©2016映画「SCOOP!」製作委員会 「SCOOP!」予告編より引用
「ジャーナリズムが何かとかそんなことはわからないけど、ただ私は撮りたい。」
これがこの作品の根幹をなすセリフであると同時に大根監督が「盗写1/250 OUT OF FOCUS」に影響を受けこの作品を撮る理由であり、今まで映画を作ってきた理由であり、これからも映画を作り続けるという決意なのです。
この作品でのメインキャラクターは間違いなく静と野火のバディです。私は大根監督は、静を原田眞人監督、野火を自分に見立てているのではないかと考えています。
静というのは偉大な人物です。というのも数々の人物とバディを組み、仕事をする中で大きな影響を与えてきた人物だからです。
そして野火に写真の撮り方のみならず、ジャーナリストという仕事の意義であったり、仕事の喜びといったことをも伝え、大きな影響を与えてきました。
つまりこの構図は映画を志した青年大根仁が、「盗写1/250 OUT OF FOCUS」を撮った原田眞人監督に大きな影響を受けた構図に非常に似ているわけです。
静はとあるフォトブックの戦場カメラマンの写真に心惹かれカメラマンを志しました。そして野火は静の姿を見て真にジャーナリストを志しました。
そして静はラスト、チャラの下に向かうとき撮影用のカメラではなく、戦場カメラマンに憧れて購入した「カメラ」を持っていきます。
そしてその「カメラ」は野火へと受け継がれる。この「カメラ」こそが大根監督がこの作品を撮ることに対する決意なのだと思いました。
大根監督は原田監督から「盗写1/250 OUT OF FOCUS」という作品の精神を確かに受け継いだこと、そしてじぶんがこれから映画の世界という「戦場」で生きていくんだという覚悟をこのカメラを受け継ぐという描写で表現したかったのでしょう。
静という人物は確かに多くの人に影響を与えてきました。しかし決して多くを語ってきたわけではない。野火に対しても何か説教じみたことを言うということもありませんでした。彼は常にその仕事ぶりと自分の撮った写真でもって語り、多くの人に影響を与えてきたのです。
大根監督は原田監督の映画に影響を受けました。つまり、この作品のラストに込められたのは自分が影響を受けたように、大根監督が自分の映画で誰かに影響を与えられるようになりたいという決意なのです。
大根監督は自分の思い入れが強く、映画の道を志す一つのきっかけともなった作品のリメイクである本作で自分の強い覚悟と決意を表明したのです。だからこそこの作品が彼の作品の一つの大きな区切りとなることは間違いないでしょう。
いきなりの長回し、高速編集、独特の音楽の使い方、作品のテンポ。どれをとってもザ・大根監督作品です。 しかしこの作品には今までの彼の作品にはない雰囲気を孕んでいます。
この映画で言いたいのはジャーリズムの本質は?なんて高尚なテーマではない。
父親なら背中で語れ。
カメラマンなら写真で語れ。
映画監督なら映画で語れ。
それだけのことだ。あの「カメラ」はまたいつか大根仁監督から、また次の誰かへと引き継がれていく。そうしてまた一人、次は大根仁作品に影響を受け、「戦場」に足を踏み入れるのだろう。