アイキャッチ画像:©MARVEL 「ドクターストレンジ」より引用
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
皆さま、マーベルシネマティックユニバースの最新作「ドクターストレンジ」はもうご覧になられましたでしょうか?
今回はそんな『ドクターストレンジ』についてお話していこうと思います。
良かったら最後までお付き合いください。
映画『ドクターストレンジ』の評判
私は試写会で11月に一足先にこの作品を見させていただいたのですが、なかなかこの映画に対する感想・考察が固まらず、ずっと自分の中で思案を巡らせておりました。私が、この作品を見た時、この作品の評価は賛否が8:2ぐらいになるのではないかと予想しておりました。しかし、ふたを開けてみると、賛否の割合は6:4くらいのように見受けられます。
多くの方が言われている批判意見として、キャラクターが弱い、脚本が弱い、ヴィランとの決着をちゃんとつけてくれというのが挙げられます。私も同じような疑問を感じていなかったかと言われると、感じていなかったとは言えません。
私はドクターストレンジという作品を最初に見た時、あまりにもその映像的な革新性に目を奪われて、そのあたりのディテールにあまり注意が及んでいなかったように感じました。そしてそれが私が長らくこの作品の考察を書けなかった理由の最たるものなのだと思うばかりです。「ドクターストレンジ」に対する否定的な意見を見てようやく自分の中でこの映画に対する結論が出たので、今回はそれについて書いていきたいと思います。
考察:『ドクターストレンジ』に見えるパラダイムシフトとは?
まず、この作品がどうして素晴らしいのかと言うと、それは「パラダイム・シフト」という言葉に集約されるのではないかと思われます。
「パラダイム・シフト」というのは、当然のことと考えられていた、絶対性を帯びていると思われていた認識や概念、思想、そして価値観が劇的、革命的に変化することを指す言葉です。
劇中で、ドクター・ストレンジは、天才的名医であります。ゆえに彼は自分の腕、それだけしか信用していないのです。他人を信用しない、それは、アメリカ医療業界という実力社会をその腕だけでのし上がって来たゆえの自信とそしてプライドゆえです。そんな彼が、交通事故で自分の腕を失うのです。この重大さは誰もが推し量ることができるでしょう。自分のキャリアと自信とプライド、彼は自分自身の絶対性を否定されたのです。
そして、彼は手当たり次第に先端医療に手を付け、自身の財産を失います。このプロセスも非常に重要で、自分の絶対性を支えてきた「西洋医療」に見放されることこそ、彼の「パラダイム・シフト」を支える大きな要因だったのです。そして、医師としての腕も財産も失った彼は、カマータージにたどり着き、そこでエンシェントワンに出会います。彼は当初は信じませんでしたが、その力の片鱗を見せられた時、そこに自分自身の救いを求めます。
おそらく、彼が医者としての最盛期にあった頃、エンシェントワンに出会い、その力を見せつけられたとしても、彼はそれを信じることはなかったように思います。というのも、彼はその絶対的な価値観、思想、プライドに裏打ちされた存在だったからです。しかし、それらをすべて失った、そして自身の絶対性を支えてきた「西洋医学」への懐疑が彼の「パラダイム・シフト」を後押ししたのです。
このように、この作品では、スーパーヒーロービギンズに当たる前半部分で彼がどうして魔術に惹かれたのかが、非常に説得力を持って描かれています。まず、この部分の脚本は褒められてしかるべきなのではないかと思います。
そして、その説得力を支えるだけの映像革命的な視覚効果が素晴らしいのです。この映画は確かに映像だけを見ても素晴らしいです。しかし、その物語にリンクしているゆえにより一層その魅力を増しているのです。我々、観客は、ストレンジがエンシェントワンに魅せられた理由、そしてストレンジの「パラダイム・シフト」をあの革命的映像を介して追体験できる構造になっているのです。ストレンジが魔術に、あの超現実的な世界に魅せられたように、我々もまたあの世界の虜になる。ゆえにストレンジのスーパーヒーロービギンズの部分はより一層説得力を増すのです。
この作品が映画作品単体として完成されたものではなく、我々の映画体験をもって初めて完成する構造になっていると言う事は、特筆しておくべき点だと思います。それゆえに、最大限の映像体験を味わえるIMAXでの鑑賞が推奨されるんですね。(私はこの記事を書いている時点ではまだIMAX版を鑑賞しておりません笑)
考察:『ドクターストレンジ』はなぜ「弱い」のか?
では、ここからもう一つ、脚本が弱い、キャラクターが弱いと言われる理由について考察していきたいと思います。
ネガティヴな面を語るにあたって一言。私がこの作品の肯定派であり、その立場から否定派の意見の原因のなんたるかを考察しているという立場を踏まえてください。
そのキーワードは「ポストモダニズム」という言葉にあるのではないかと言う事を先にあげておきたいと思います。
「ポストモダニズム」という思想は近代世界の原理である理性、科学、進歩といったものに対する信奉に懐疑を突きつけるという考え方です。もっとかみ砕いて言うならば、絶対的なものに対して矛盾と疑念を突きつけるという思想であります。この考え方は建築や、芸術、科学、文学、そして映画の世界においても広く用いられていた概念です。
映画「ドクター・ストレンジ」の世界観というのはまさにこの思想を根底に孕んだ映画作品なのです。
エンシェントワンが「あなたの知っている世界、それはほんの一部に過ぎない」というセリフをストレンジに突きつけますが、この映画の世界観、キャラクターの根底にあるのはまさにこのセリフで述べられているようなことなのです。
まず、主人公のストレンジ自身は、自分が絶対的であると信じてきた「西洋医学」に対して限界と疑念を感じたことから、魔術の世界へと足を踏み入れます。そして、その師であるエンシェントワンもまた魔術というものを絶対的に信奉してきた一方で、そこに限界と矛盾を感じ、ドルマムゥの悪の力に手を出してしまいます。
そして、今作のヴィランであるカエシリウスもまた、自分が絶対的であると信奉してきたエンシェントワンが悪のドルマムゥに通じているのではないかという疑念から、ドルマムゥを信奉する立場を取るようになります。最後に、次回作のヴィランとなるのではないかと思われるモルドですが、彼もまた自身が信奉してきた魔術の世界、エンシェントワン、アガモットの目の力といったものに矛盾と疑念を感じ、ストレンジと決別します。
このように、今作のメインキャラクターたちは、自身の行動を絶対的なものに隠された矛盾に疑念を呈する、暴き出す、ある種の脱構築的な手法で決定しているわけです。
そして、視覚効果も我々に脱構築的な世界観を理解させるのに一役買っています。あの高層ビル街が次々に変貌していく一連の視覚的シークエンスはまさに、我々の日常の崩壊、ないし変貌を端的に表現しています。我々は、自分が当たり前だと思ってきた世界が「ほんの一部に過ぎない」のではないかと言う事をまざまざと実感させられるわけです。
このように、映画「ドクター・ストレンジ」の世界観というのはポストモダニズム思想に支えられているのではないかということは十分に言えると思います。
では、なぜこのポストモダニズム的な世界観がこの映画の弱点となるのか?それはこの思想自体の弱点と一致しています。
「人間は言語を使うのではなく、言語に使われている。」という言葉があります。この言葉はポストモダニズムの弱点を表すのに非常にわかりやすい言葉です。人間は知らず知らずのうちに言語の牢獄にとらわれてしまっているのではないでしょうか。
言語というものに矛盾を見出して、脱構築的に言語を超越したものを探ろうとすると仮定します。しかし、ここで考えてみていただきたいのです。言語を超越したものが存在していると言う事をなぜ知ることができるのでしょうか?そうそれは、言語というものが存在しているが故なんですよ。
つまり、ポストモダニズムという考え方はある対象に矛盾や疑念を突きつけて、そこから新たなものを模索するという思想であるがゆえに、その元の対象の呪縛から解放されないという、弱点を秘めているのです。
確かに、この思想はアメリカの政治史においても、非常に重要な役割を果たしてきたのですが、この思想では、あくまで既存の対象に対する疑念や矛盾を突きつけることしかできず、決断力や決定力に乏しかったのです。
ゆえに、この思想を根底に孕んだ映画「ドクターストレンジ」も同様の弱点とジレンマを抱えているのです。登場人物がある絶対性に対する疑念に裏打ちされた存在、その絶対性に反発しながらもそれに依拠した存在であるがゆえに、非常にキャラクターとして弱いのです。
モルドはその最たる例でしょう。彼は、魔術に疑念を持ち、魔術師の数を減らそうと行動を始めるわけですが、彼自身も魔術に裏打ちされた存在という点で、彼はその呪縛から解き放たれることがないのです。ゆえにそのキャラクターに魅力が生まれないのです。
また問題の中心にあるのはエンシェントワンの描かれ方の弱さにあると思うんです。最高位の魔術師として登場しながらなんともぞんざいに扱われてしまった彼女ですが、この作品のキャラクター、とりわけヴィラン、ネクストヴィランに説得力と魅力を与えるには彼女をもっと丁寧に描写しておく必要があったように思います。というのもカエシリウスとモルドというのはエンシェントワンの身から出た錆なんですよね。つまり彼女の存在に依拠したヴィランなわけです。ゆえにその大元である彼女をきちんと丁寧に描写することなしに、今回のヴィランの魅力を最大限発揮することは叶わないと思うのです。
作品の世界観自体もそうです。彼らが信奉する魔術の世界というのは、あくまで我々が普通に暮らしている世界があるゆえにその特異性を持ちうるのです。
ポストモダニズム思想に裏打ちされた作品としての面白さは確かにあるのですが、絶対性に反抗しようとするあまりかえってその絶対性に囚われてしまうという負のサイクルがこの作品のキャラクターないし脚本の弱みへと繋がっているのです。
確かにこの作品は非常に素晴らしい作品です。それは疑う余地はないと思います。しかし、皆さんがこの作品を見て、「弱い」と感じてしまう原因はここにあるのではないでしょうかという点を今回考察してみました。
私自身はMCU作品に関してにわかの中のにわかだと自負しておりますので、そのあたりの詳しいことを指摘されても十分な返答をすることはできないと思いますのでその点はご了承くださいませ。
ここからは、11月に試写会を見た直後に、あらすじの全貌と自分の寸評を書いただけのゾーンになりますので、全く面白くも何ともありません!!断言しておきます!!(笑)ですので、あらすじの全貌を確認しておきたいという方のみこの先にお進みください。映画をご覧になられた方はここまでで読んでいただければ十分だと思います。
『ドクターストレンジ』あらすじ(ネタバレあり)
MCUの新作「ドクターストレンジ」を一足先に見てきたので、ストーリーを解説するとともに、自分の略感を書かせていただきたいと思う。
以下、完全ネタバレなので、注意してください。自分の備忘録として書き記しています。
再度になりますが、重大なネタバレを含みます。注意してください。
起
エンシェント・ワンの本拠地であるカマー・タージにある書物庫。その中枢部に持ち出し厳禁の秘蔵の書物が保管されていた。ある日、その書物庫に空間を移動して魔術師たちが奇襲をかけてくる。その魔術師軍団を率いるのはカエシリウスという男。
彼らは魔術を用いて、書庫番を捕らえ、その首を切り落とすと、エンシェント・ワン秘蔵の書物のうちの一つから、ページを破り取った。そして立ち去ろうとすると、エンシェント・ワンが現れる。カエシリウスたちは空間転移でロンドンに逃亡するが、これをエンシェント・ワンも続く。彼らはエンシェント・ワンが作り出したミラー次元の中で戦闘を繰り広げる。激しい攻防の末、彼女はカエシリウス取り逃がしてしまう。
ここで、場面が変わってニューヨーク。天才神経外科医であるスティーヴンストレンジは人智を超越した医療技術を持ち、知性と教養を兼ね備えた完璧な人間であった。しかし、その傲慢で、自己中心的な性格が幸いし、恋人のスチュアート・パーマーとも上手くいっていない。そしてある日、彼はいつものように高級ブランドで身を包み、自身が出演する講演会の会場へと車を飛ばした。そして雨の山道という悪路を通過中に、病院から患者に関する経過報告が入る。それに気を取られ、ストレンジの車は前方を走る車に激突、スリップした彼の車はガードレールを突き破り、そのまま崖の下へと落ちていった。
なんとか一命をとりとめたストレンジだったが、腕の神経のほとんどが断裂しており、もはや以前のように手を動かすことはできない体になっていた。しかし、医者としてのキャリアを諦めきれない彼は、金額や方法は問わず、あらゆる治療方法に手を出すが、結局何の改善を見られない結果となってしまう。高額な医療費により、彼は財産の大半を失い、医者としての名声も失ってしまう。
そんなとき、彼は病院でリハビリを担当していた大学生から、重度の下半身まひになりながら、ある日突然自分の足で歩くようになった青年の話を聞かされる。わらにもすがる思いでその青年のもとを訪ねると、彼は不思議な力を手に入れることができるというネパールにあるカマータージに赴けとストレンジに告げる。
ストレンジは自分の有り金をすべてはたいて、単身ネパールへと渡る。ネパールの街をさまよっていると、強盗に襲われ、金品を奪われそうになる、そこに一人の魔術師が助けに現れる。その人物はモルドという名前で、ストレンジをカマータージに案内すると告げる。
カマータージに到着し、中に案内されると、そこにはエンシェント・ワンの姿があった。彼女はストレンジに、あの青年が歩けるようになった理由を述べるが、それがあまりにもスピリチュアルな内容であったため、彼はその傲慢さと西洋医学への絶対的信奉から彼女の発言を信用しない。
ストレンジが彼女をあざけると、彼女はストレンジに魔術は現実に存在するんだということを実際に見せつける。衝撃を受けたストレンジは彼女に弟子入りすることを懇願するが、彼女は彼を追い出してしまう。
しかし彼はもう他に頼る道もないため、ただただカマータージの扉の前で弟子入りを懇願する。そして5時間が経過する。モルドはストレンジの弟子入りを認めるようエンシェント・ワンに提案するが、彼女はカエシリウスの姿にストレンジが重なると指摘する。しかしモルドが、正しい道に導くという条件付きで、ストレンジの弟子入りが決まる。そして厳しい訓練生活が始まるのであった。
承
初歩的な魔術から訓練を始めていくが、なかなか上達しないストレンジ。しかし、持ち前の記憶力で魔術に関する知識を次々に蓄えていく。そしてきっかけが必要だと考えたエンシェント・ワンはストレンジを空間転移でエベレストに連れていき、彼を残したまま立ち去る。極限状態に投げ込まれた彼は見事空間転移魔法でカマータージへと帰還。そして粗削りながらも、魔術を習得していく。
場面変わって、とある教会。カエシリウスら魔術師が、エンシェント・ワンの書物から破り取ったページに記載されていたのは、時を司る暗黒エネルギー体であるドルマムゥと交信するための儀式の方法であった。彼らはその方法にのっとり、儀式を行い、ドルマムゥの暗黒の力を身に宿す。
場面戻って、カマータージ。ストレンジは書物番をしているウォンと知り合ううちに、書物庫の中枢にあるエンシェント・ワン秘蔵の書物の存在を知る。そして彼はその書物を読み進めるうちに、カマータージに保管されているアガモットの目の存在を知る。ある夜中、彼はアガモットの目が保管されている館に忍び込む。そして書物に記載の通りに、目を起動させる。アガモットの目には時を自由自在に操る力が備わっていたのだった。
そこにモルドとウォンが現れ、その力を使ってはならないと、ストレンジを制止する。そしてその館にある3つの扉について説明する。その3つの扉はそれぞれニューヨーク、ロンドン、香港につながっている。そしてその3つの個所から結界をつなぎ、地球をドルマムゥから守っているのだと。
そう告げた矢先に、突如ロンドン支部につながる扉が開き、大爆発する。暗黒エネルギーを取り込んだカエシリウスたちがドルマムゥを地球に招き入れるために、結界の破壊をもくろんでいたのであった。
ストレンジはその爆発のさなか、ニューヨーク支部へと空間転移してしまう。そこにはロンドンを陥落させた、カエシリウスたち魔術師がおり、ニューヨーク支部を守る魔術師と交戦を繰り広げていた。その魔術師が倒されると、ストレンジとカエシリウスらの交戦へと発展。ストレンジは粗削りの魔術ながら、カエシリウスの部下たちを撃退する。
しかし、カエシリウスの力は強大でストレンジは徐々に劣勢になっていく。するとニューヨーク支部に保管されていた空飛ぶマントがストレンジを所有者として認め、救援。なんとか、カエシリウスを拘束することに成功する。
転
拘束されたカエシリウスとストレンジが対話する。カエシリウスは永遠をもたらすドルマムゥは人類が望むものであると主張する。そして、エンシェント・ワンもその力を借りて生きながらえているのであると主張する。
カエシリウスに気を取られ背後から近づく部下にストレンジは気づかず、その部下に胸を貫かれてしまう。ストレンジはなんとか、空間転移でニューヨーク支部から脱出し、自身が働いていたニューヨークの大病院に移動、スチュアート・パーマーに手術をしてもらえるよう懇願する。
ストレンジは手術が始まり意識を失うが、彼は自分の身体から意識だけが離脱したアスペクト体(幽霊みたいなもの)としてパーマーに自身の手術の指示を出す。そこにカエシリウスの部下もアスペクト体の状態でストレンジを追って病院の手術室へとやって来る。ストレンジは苦戦するも、パーマーに心肺蘇生用の高圧の電流を体に流してもらうことで部下のアスペクト体に勝利する。
治療を終えると、ストレンジはニューヨーク支部へと戻る。そこにはモルドとエンシェント・ワンの姿があり、ストレンジにニューヨーク支部を任せると伝える。ストレンジはカエシリウスから聞いた、エンシェント・ワンに対する疑惑をぶつける。彼女はドルマムゥは手を出してはならない禁忌の力であるとだけ伝えて去っていく。そこに再び、カエシリウスたちが現れる。そしてストレンジとモルドが応戦する。
彼らの戦いの舞台はニューヨーク市街地のミラー次元(現実世界に影響を与えない別空間)へと移る。ストレンジとモルドは戦いを有利に進めたかに思えたが、カエシリウスはその強大な力を用いてニューヨークの街全体を変形させる。そしてその歪んだニューヨークで追いつ追われつの攻防が続く。そしてそこにエンシェント・ワンが現れる。エンシェント・ワンとカエシリウスの闘いが始まる。力では圧倒的に彼女のほうが上回っていたが、味方もろとも串刺しにするという残忍な戦法でカエシリウスがエンシェント・ワンを破る。
突如としてミラー次元が崩壊し、現実のニューヨークへと空間が戻り、串刺しにされたエンシェント・ワンは落下し、地面に叩きつけられる。ストレンジは彼女をすぐさま病院のパーマーの下へと運び込む。彼女のオペの最中、ストレンジは彼女のアスペクト体と対話する。彼女が繰り返し現れる暗黒の魔術師たちと対峙し続けるために、ドルマムゥの暗黒エネルギーの力を借りていたこと、そして永遠の命というものがいかに苦しいものであるかということ。ストレンジはそんなエンシェント・ワンの辛く悲しい生涯を知り、手段は間違っていたかもしれないが、彼女のやって来たことは正しかったと認める。目的は手段をも正当化する場合があるのだということ。
結
彼女が亡くなり、場面はカマータージに。ストレンジとモルドが対話する。ストレンジはエンシェント・ワンの秘密をモルドに明かす。しかしモルドはたとえ目的が正当であれど、その手段が正当化されることはないと、エンシェント・ワンを糾弾。
その時香港では、書庫番であったウォンたち魔術師がカエシリウス達を迎え討とうとしていた。
香港に危機が迫っていることを告げ、世界を救うために共に戦うことを提案するストレンジ、モルドもそれに応じ、2人は香港へと向かう。2人がたどり着くと、すでに香港は陥落しており、ドルマムゥが地球へ襲来しようとしていた。
ストレンジはアガモットの目の力を使って、時間を巻き戻す。時間は巻き戻っていき、うまくいくかに見えたが、カエシリウス達の邪魔が入り上手くいかない。ストレンジは世界を救うためにあることを思いつく。
彼は自らドルマムゥの下へと向かい、彼に交渉を持ちかけようとする。しかしドルマムゥは聞く耳を持たず、ストレンジを熱戦ビームで焼失させる。しかし、再びストレンジが現れ、ドルマムゥに交渉を持ちかける。ドルマムゥはストレンジを串刺しにするが、ストレンジは三度現れ、ドルマムゥに交渉を持ちかける。
ストレンジはアガモットの目の力を使って、この今の瞬間が未来永劫繰り返すよう仕組んだのだった。そのためストレンジはドルマムゥを倒すことはできないが、ドルマムゥをこの時間に縛り付け、未来永劫身動きが取れないようにしたのである。
ストレンジの交渉は、カエシリウス達を連れて、地球から手を引けば、この時間から解放するというものだった。最終的にドルマムゥはこの条件を承諾したのだろう。カエシリウス達は消失し、ドルマムゥも地球から引き揚げていった。
ストレンジ、モルド、ウォンは地球を守り抜いたことを喜ぶが、モルドは地球を守るという目的が正当だったとはいえ、アガモットの目の力を使うという禁忌を犯したことには変わりないと述べ、ストレンジと同じ道は歩めないと一人去っていく。
ラストシーンはロンドン支部の窓の外を眺めるストレンジ。
そして、アガモットの目がインフィニティストーンで作られていることが明かされる。
エンドロールに入り、キャスト名が一通り出終わると、再び映像が。
ストレンジがニューヨークの自宅で誰かと対話する姿が。その相手は何とソー。ソーは自分の父親が見つかれば、ロキと共に地球から撤退することを約束する。そしてストレンジもソーに手を貸すことを約束する。
そしてスタッフクレジットが終わると再び映像が流れる。
序盤に出てきた、下半身麻痺から奇跡の回復を遂げた青年の下にモルドが現れる。モルドは彼から魔術エネルギーを抜き取る。すると彼の下半身は再び麻痺状態に。モルドは彼を殺害すると、「魔術師が多すぎる」と意味深なセリフを残し、去っていく。
略感:圧倒的すぎる映像美!!
映像作品としても本当に素晴らしい作品だった。魔術を使った戦闘シーンやニューヨークの都市が変形していくCGは圧巻でした。早くIMAX3Dでこの究極の映像を体感したい思いでいっぱいだ。
©MARVEL 「ドクターストレンジ」より引用
またMCU作品の一つとしても秀逸で、ソーラグナロクにきっちりつなげてくるあたりはさすがだ。
原作の最大の敵であるモルドが味方としながら、最後の最後で、ストレンジの敵となることがほのめかされるという展開も「ドクターストレンジ」の続編への布石として最高のものとなっていた。
MCUの中では異質な作品だが、MCU初心者の最初の1本としてもこの上なくお勧めしたい一本である。
本編を一度見て書いたあらすじ詳細なので、おそらく間違った情報が含まれます、ご了承ください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
うーん。成る程。
特にキャラクターが弱いとか不満は感じなかったけど2回目以降観たら印象変わるかもですね〜。
タイマさんコメントありがとうございます!僕もそこまでキャラクターの弱さを感じたわけでは無かったのですが、今回は皆さんの批判的な意見に対応する形で考察させていただきました。
傲慢だったストレンジが世界を救うためにくだした決断とか特にカタルシス不足とも思わなかったんですけど、モルドがいざ闘いでは何にもしてなかったりエンシェントワンが出てきて割とあっさり…とか終盤はやや性急かなと思ったぐらいですね。
自分は至高の魔術師エンシェント・ワンが一突きされてビルから落下して死ぬというのはあっさりだなあとは思いました(笑)
話の流れや都合上、エンシェント・ワンが死ぬだろうなとは思ってましたが、仮にも”至高の”魔術師が…ってティルダ様をもっと見たかった欲求が故かもしれませんけど。
脚本は決して弱くはないとは思いますね、早足で駆け抜けた感はあって細かな描写が不足していたからそう感じるだけであって。
まあこれも個人的意見なんですけど(笑)
時を司る絶対的存在のドルマムゥの矛盾点を暴いて、撃退するっていうプロセスはとても良いですよね(^ ^) 僕も記憶が薄れつつあるので、2回目を見ないといけません…。
記事でも触れましたが、僕は前半部分の脚本は本当に手放しで褒めても良いくらいに洗練されてるように感じました。ただ、レクターさんもおっしゃっているように後半部分は少し雑かなあくらいには感じました。僕自身はドクターストレンジ肯定派で、今回は否定派の意見に対応する形で書いてみたというニュアンスですので、その点だけよろしくお願いいたします(^ ^)
またエンシェントワン、病院で私もう色々と疲れちゃった…って感じで退場していくので、いやそこはもうちょい落とし前つけていってくれよ!!と思いましたwその後のことに関して特にフォローもないしw
あ、別にナガさんに反論してやろう、へへへ!みたいなノリで言ったんじゃなくて、自分の率直な気持ちを述べただけなので、主旨はちゃんと理解してますよ^ ^
兎にも角にも、次回作へと繋げる本作の出来としては十分見応えありましたし、満足出来るところだと思ってます。
確かにエンシェントワンはもったいなかったですね。そのエンシェントワンの描かれ方の弱さが、今回の記事であげた問題点にも通じるところがあると思ってて、今回のヴィランないしネクストヴィランそのものがすごくエンシェントワンの身から出た錆というか、彼女の存在に依拠した存在なんですよね。だから彼女をちゃんと描かないとヴィランたちの説得力とか魅力が弱くなっちゃうんじゃないかなぁとは思うんですよ。
いえいえ誤解があったらマズイと思いまして、ご理解いただいてたようで、失礼いたしましたε-(´∀`; ) 確かに続編ありきで作ってるので、まだまだこれからという印象はありますね!僕自身はすごく楽しめてMCUでもかなり上位にくる出来だと思いました!
凄い映像美でした。万華鏡でも除きこんでるような
考えさせる作品でした。
エンシェント・ワンはダークディメイションの
力で長く生きていた。モルドのように、禁断の魔術を
使えば必ず報復があると言うのも分かる。
ネタバレになるがストレンジがやった事も禁忌である。
だが、その禁忌の魔術で人々は死なずにすんだ
(錬金術で言うなら対価というか・・・)。
エンシェント・ワンのおかげでこの映画の腰の怪我で
車椅子生活を送るはずだった男、ストレンジを
救っている。ようは、魔術の使い方ではないかと。
只、モルドお前最後、酷すぎ!
魔術で立てるようになった人の魔術を奪い、
立てなくさせた。魔術師が多すぎるという糞な理由で!
彼は、魔術師にはなれなかったがスポーツをやったり、働いて
いるではないか。
エンシェント・ワンは嘘をついた。それでカエシリウスを
敵に回してしまう。彼女は死を持って償いをした(因果応報
だが)ストレンジやウォンに託されてしまうが。
ただ、禁忌の術は正しい事に使うべき。
モルドが糞すぎて胸糞悪い。簡単に闇落ちして周りに迷惑かけて害悪でしかない。魂から鍛えなおせと言いたい。
この作品を作るにあたって、制作者側が第一に掲げたことは「『魔術』を使う人々」と「多次元世界」という物凄く難解な設定を観客に説明することだったと僕は推察してます。
あの凄まじい映像を観て分かるとおり、その点では大成功を納めているといえます。この手のファンタジー作品の中では間違いなく100点満点でしょう。
限られた上映時間を踏まえると、今作の「キャラや話の内容」と「世界観の説明」に割く時間のバランスはこれ以上ないと思ってます。
なので、キャラや話が単調で弱いという印象は仕方がないのかなと「今の所」僕は思ってます。
というのも、同じMCU作品の「キャプテンアメリカ」は、2、3作目を観ると、単調でベタなヒーロー映画だった1作目が補完され、単調でベタな1作目があったからこそ、そこを深く掘り下げた続編の話が活きてくるという前例があります。
単体で観ると弱い印象の1作目も、シリーズを通して観ると、1作目が「あえて」そういう作りになっていたということがわかります。
「ドクターストレンジ」の話やキャラに関しては良く言えばまだまだ伸びしろがあると思うので、次回作でそれを掘り下げるのは確実でしょう。その続編を観ると、今作のキャラの言動や行動に深みが見いだされ、今とは違った印象になるかもしれません。
と、いろいろ言いましたが、
この映画の最大の面白いポイントは「魔法すげええええ!!」というあのビジュアルなので、その点で僕らを楽しませてくれた製作陣はその課題を見事にクリアしているので、まちがいなく今作は成功なんじゃないかと僕は思ってます。
通りすがりさんコメントありがとうございます。確かにモルドのキャラクターは少し弱いような気がしました。ラストバトルでストレンジの右腕役を匂わせながらあまり活躍しませんでしたし…。描ききれなかったがゆえに彼が裏切ってしまう、ヴィランに堕ちてしまう理由もイマイチ説得力に欠けましたね。この辺りは続編への宿題になるのかと思います。
モルド嫌いさんコメントありがとうございます。確かに自身が魔術師であるにも関わらず、あのような行動を取ってしまうのは少し胸糞悪い展開だったように思います。ただそれ以上に彼が裏切った理由を説得力を持って描ききれなかった点が問題だったのではないかと考えております。モルドは原作でもストレンジの最大の敵として登場するキャラクターなので、最初味方として登場した時は少し驚きでした。彼が闇堕ちするという筋書き自体は悪くなかったようには思います。
次回作に期待!さんありがとうございます。私もこの作品に非常に好意的な意見を持っている人間の1人です。非常に満足できる出来だったと思います。
特にこの作品は、これからのMCUの世界観や設定、方向性を説明しなければならないという点で、フェーズ2やシビルウォーからインフィニティウォーとの連結点として非常に重要な役割を果たしているように思います。
そのため、次回作に期待!さんが仰るように次回作ないし今後のMCUの説明、導入的な役割を果たせていた点はきちんと評価されるべきと思います。
今回ドクターストレンジに批判的な方が多いのはやはり、アントマンやシビルウォーといった作品が単品でも非常に完成されており高評価を得ていたという背景も大きいのではないかと思います。
何はともあれ次回作に期待!ですね!!
お初です
本日映画を見てきて疑問があって覗かせてもらいました
カエシリウスが破ったページの呪文は暗黒の力を使うための呪文だったのでしょうか?それともドルマムゥを呼び出すための呪文だったのでしょうか?
あとエンシェントワンはなぜあそこで死ぬ必要があったのでしょうか?500年以上も続けてきて弟子にちょろっと責められただけで折れるような精神だとは思えないのですが
そのあたりがパッと見でわからなかったので脚本が弱いといわれていたのではないかと思います
映像表現は素晴らしかったですね
巻き戻しの中で戦うなども目新しかったですし
次回作も楽しみです
PS
アスペクト体ではなく、アストラル体ではなかったでしょうか?
ラストバトルに疑問があります。「ストレンジが殺された瞬間に時間が巻き戻る」のであれば、ドルマムゥが何もしなければ、時間が巻き戻るきっかけが起きないんじゃないでしょうか?そうなると、ドルマムゥをあの時間に縛り付けておくことも出来ないのでは?
tokiさん、なにもしなくでもストレンジが時間を戻す事ができるだろう、自動発動とは別に条件いらないと思います。
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映画のストレンジは西洋医学に疑念に感じてないと思います。
実際、彼自身およびエンシェントワンの怪我に対して、まず西洋医学から対処したのは証拠と思います。
ただ、西洋医学がどうしようもないの場合、他の可能性も理解しただけと思います。
一番パラタイムシフトの所は魂対しての認識と思います。
映像は素晴らしいが、自分はどうしてもゲームのベヨネッタに連想しました。