「この世界の片隅に」(原作)ネタバレ感想・考察 :選択肢の先にある「わたし」の居場所とは?

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね『この世界の片隅に』の原作のお話をしてみようと思います。

良かったら最後までお付き合いください。

作品概要

本日11月12日土曜日から「この世界の片隅に」の劇場版アニメが全国で公開となりました。原作を著したのはこうの史代さんで、今回の「この世界の片隅に」は彼女の出世作の1つと言われている作品である。

2006年から戦前期の広島での幼少期のすずの生活を描いた本編のプロローグに当たる3編が発表され、2007年から、本編となる「この世界の片隅に」として「漫画アクション」で連載された。

この作品の映画版は2012年製作発表され、監督を片渕須直さんが務めることとなった。また製作は「坂道のアポロン」のアニメ化で評価を高めた新鋭のMAPPAに決まった。

そして資金調達のためのクラウドファンディングが2015年に開始されると、目標の2000万円をわずか10日ほどで達成し、最終的に3500万円を超える支援が集まった。のちにすずを演じる主演女優がのん(能年玲奈)であることが判明した。

あらすじ

太平洋戦争下の日本。1944年に広島市に住んでいた少女浦野すずは、呉に住む青年北條周作の下に嫁ぐところから物語が始まる。

慣れない環境に苦しみながらも、戦時下の激動の時代を懸命に生き抜くすずをはじめとする庶民の生活を鮮明に描き出す。戦時下を生きる女性たちの生き生きとした姿とそこに確かに忍び寄る戦争の足音のコントラストが強烈な作品。

『この世界の片隅に』の魅力

まず、戦争を描いている作品は数多くあるが、この作品が他の作品と一線を画しているのは、女性が作者ということもあってか、非常に女性にスポットを当てた作品であることである。戦争映画や戦争文学となるとやはり実際に戦争に参加していく運命にあった男性にスポットが当たることが多い。

しかし、この作品は戦時下でありながら、淡々と流れていく女性たちの日常生活を描き出す。それは一見退屈に見えるかもしれないが、暗く厳しい時代を懸命に生きていくその姿に希望を感じることができる。

そんなただ純粋に生きていく姿に感銘を受けるのは、こうの史代さんのトーンを使わない独特の色彩感覚であったり、 柔らかい表情表現であったり、すずというキャラクターが持つ底抜けの明るさのおかげであろう。

トーンを使わず、すべて線の密度や方向や太さで表現したことで絵の印象が淡くなり、優しい印象を与える作画となっている。しかし、そんなタッチで描かれる戦争描写、原爆描写は一層強烈である。戦争の残酷さが際立った素晴らしいカットが散見される。

また、この作品の柔らかい表現描写は、他の戦争を扱った作品にはあまり見られないものとなっていた。 底抜けに明るい表情もあれば、憂いを宿した女性的な表情もあれば、時にこらえきれず涙する表情もある。そのすべてが優しく、非常に作風にマッチしたものとなっている。

そして、すずというキャラクターの性質はこの作品において非常に重要である。この作品は読んでいただけるとわかるが、すずが主人公でなければ成立しないであろう作品だ。これは言葉で説明するのが非常に難しいので、ご自身でこの作品を読んで感じていただきたい。

ここから2つの章に分けてこの作品の最大の魅力を語っていきたいと思う。




すずを支えていたものの正体 

太平洋戦争が終結したのは8月15日である。今でも終戦記念日と定められている、ポツダム宣言受諾の日付である。

「この世界の片隅に」でもこの8月15日の日付が終盤に登場する。このシーンが印象的なのは言うまでもないだろう。


―飛び去っていく、この国から正義が飛び去っていく―

「・・・ああ。暴力で従えとった言う事か。じゃけえ暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね。うちも知らんまま死にたかったなあ・・。」

(双葉社 こうの史代著 「この世界の片隅に」下 P94~P95 より引用)

このセリフをつぶやき泣き崩れるすず。いままで苦しい生活に耐え、自身の右手を失い、兄の死を、晴美の死を乗り越えて、天真爛漫な自分を守り続けてきたすずがついに堪えきれず泣き崩れる。


このシーンこそ、これまですずを支えてきたものが崩壊した瞬間だったのである。

厳しい戦時中の生活を、たくさんの人の死を乗り越えて、8月15日、ラジオ越しに天皇陛下の声を聴いた日本人はさまざまな感情を持ったことであろう。

原爆が落とされた二日か三日の後、焼け野原に敵の飛行機が飛んできてビラがばらまかれました。はっきり覚えていないのですが、「日本は負けた。天皇陛下が降参した。」というようなことが書いてあったようでした。

私たちは「これはうそだ。そんなはずがない。」と口々に言い合いましたが、わすれもしない八月十五日、長かった戦争が終わり、日本が負けたことを知りました。ラジオも無かったので、放送された天皇陛下のお声をじかに聞くことはできませんでしたが、人づてに聞き、私の周りにいた人たちは大人も子供も泣きました。「どうして・・・。なんで・・・。」と肩を抱き合って泣きました。今まで苦労して頑張ったのに。お国のためにと戦地に生き、戦死された方々、その家族。原爆で死んでいった人たちのことを思うと、涙が止まりませんでした。

(長崎平和推進協会 「ピーストーク『繰り返すまいナガサキの体験』」 永野 悦子さんの寄稿より)

 

その日は、八月十五日で、戦争が終わった日でした。日本は戦争に負けた、しかし、爆撃はもうないと思うと嬉しかった。多くの国民が「助かった」と思ったことでしょう。これからは平和な世の中が来るんだと思うと安心しました。

(長崎平和推進協会 「ピーストーク『繰り返すまいナガサキの体験』」 森 幸男さんの寄稿より)

 

戦争は終わった。十五日の天皇の放送は山の中の工場にラジオが無くて、聞かなかった。敗戦を知ったのは夕方だった。ほっとして、これで死ななくていいと思った。悲しいとか悔しいという思いはなかった。

(長崎平和推進協会 「ピーストーク『繰り返すまいナガサキの体験』」 岡村 進さんの寄稿より)

今回引用させていただいた終戦の日に関する寄稿は長崎で戦争ないし原爆を体験した人のものであるが、日本の敗戦が決まった日、すべての日本人がそれぞれさまざまな思いを抱えていたことであろう。

そしてすずのあの反応から分かるのは、すずの底抜けの明るさを支えていたのは間違いなく戦争だったと言う事である。

戦時下の貧しい生活を耐えてきたのも、海兵として出兵し遺骨として帰って来たのが小石一つだった兄の死にも、自分の目の前で晴美が命を落としたことも、自分の右腕を爆弾で失ったことも。

皮肉にもこれらのことを引き起こしたのは紛れもなく戦争だが、すずがこれらの苦難を乗り越えてこれたのも戦争のおかげだったのである。

戦争に奪われ、戦争に生かされた。それがすずという少女だったのである。 

戦争における正義が日本にあると信じ続けて、連続する悲劇を苦難を乗り越えてきたすず。そんな支えが脆くもく崩れ去ったのがこのシーンだったのである。

そんな自分が信じてきたものが全て虚構だったという圧倒的な絶望が、彼女の、知らないまま死にたかった、という発言に繋がっているのである。

私は以前に長崎で被爆された方のお話を伺ったことがあるのだが、その時に非常に印象に残った一節がある。


「戦時中に生まれ、戦争が終わる直前に亡くなった私の息子は 、平和な時代を生きることなく死んでいきました。平和な時代を生きるあなたたちには、『普通』であることの幸せをどうか噛みしめてほしい。」

少し期間が開いてしまったため、一言一句たがわずというわけではないが、このような趣旨の御言葉をいただいた。 

私が「この世界の片隅に」を見て、この言葉を改めて思い返してみて、感じたのは、戦時下の普通は実は「普通」ではないと言う事だ。つまりこの作品で描かれているのは、普通に日常を生きていく人々の姿などではなく、あくまで、「戦争」中の日本を生き抜く人々の姿なのである。

そして、戦後、彼女は水原の言葉を思い出して、「普通」で、「まとも」で生きていくことを誓う。


この作品は、戦争に生かされた少女が、新たに生きる意味を見出し、「普通」の人生に一歩踏み出す過程を描き出した作品なのだ。 

我々は、そんな姿に、現代日本という平和が飽和した環境で「普通」に生きることの幸せを改めて実感する。

選択肢の先にある「わたし」

私が「この世界の片隅に」を読んで、初めに思い浮かべた作品がインド映画の「きっと、うまくいく」という作品である。

まずは簡単にこの「きっと、うまくいく」という作品を解説しておく。

インドで興行収入歴代ナンバーワンを記録する大ヒットとなったコメディドラマ。インド屈指のエリート理系大学ICEを舞台に、型破りな自由人のランチョー、機械よりも動物が大好きなファラン、なんでも神頼みの苦学生ラジューの3人が引き起こす騒動を描きながら、行方不明になったランチョーを探すミステリー仕立ての10年後の物語が同時進行で描かれる。(映画comより引用)

この作品は、すべての人の選ばなかった人生、選んだ人生が描かれた作品なのである。

人は生きていく上で、たくさんの分岐点があり、その連続が人生となる。しかし、その選択肢を選ぶ上でさまざまな要因や心情が影響し、自分がベストだと思う選択肢から逃げてしまうことがある。そうして逃げに逃げた結果、自分が思っていたところとは全く違うところに着地してしまうこともある。その時になって後悔しても遅い。「きっと、うまくいく」と信じて、常にベストの選択をしていく勇気ある人生を送ってほしいという、監督の人類全体に向けた力強いメッセージが感じられる作品である。

しかし、今回扱っている「この世界の片隅に」という作品は実は「きっと、うまくいく」とある意味正反対に位置する作品なのである。

「きっと、うまくいく」は能動的選択の意義を発信する作品であった一方で、「この世界の片隅に」は消極的選択の先で、幸せを、「わたし」を見つけるという作品なのだ。

この物語の主人公であるすずは、水原に心を寄せながらも、好きか嫌かもわからない周作と結婚する。そして住み慣れた広島市を離れ、呉で暮らすことになる。そして広島に戻れるチャンスはあったものの、呉にとどまる選択をしたすず。周作の過去から目をそむけたすず。

様々な選択を物語の中でしてきたすず。しかし、すずの選択は決して積極的なものではなかった。むしろなし崩し的、消極的な選択の連続であった。

だが、そんな選択肢の先にも確かに幸せが、彼女の居場所があったのである。

渡辺和子さんという方の「置かれた場所で咲きなさい」という著書を以前に拝読したが、「この世界の片隅に」にはこの著書に通ずるものを感じた。

自分の選択は積極的なものであれ、消極的なものであれ、自分の決断に違いない。つまり、その選択肢の先にある自分の現在地は紛れもなく自分の意志で立っている場所なのである。

だからこそ、そこにどんな後悔や苦悩があっても、その自分の現在地で輝く努力をしなければならないのである。

すずは消極的な決断の連続の先に、周作さんへの愛に気づき、呉の素晴らしい人たちに恵まれる。そこは間違いなくすずの「居場所」なのであった。

「過ぎた事、選ばんかった道、みな、覚めた夢とかわりゃせんな。すずさん、あんたを選んだんはわしにとってたぶん最良の現実じゃ」

(双葉社 こうの史代著 「この世界の片隅に」中 P34 より引用)

これは本編中の周作のすずに対する言葉である。しかし、周作自身も遊郭のリンさんへの思いを断ち切れないままの消極的な選択肢がすずだったのである。

それでもすずや周作のような、消極的な選択をしてきた人にも必ず「居場所」は与えられるのである。 
 
彼らは互いに互いの「居場所」になったのである。
 

そこで懸命に生きることで、その消極的にたどり着いた現在地がいつしか自分の「居場所」になり、そしてその結果が自分の選択肢、つまり過程のすべてを包み込んで正当化してくれる。選択肢は重要だが、どんな形であれ選んだ先で、「置かれた場所」で「咲く」努力をできるかどうかが、生きるうえで最も大切なことなんだと言う事を「この世界の片隅に」は我々に強く訴えかけてくれる。

これは「世界の片隅に」生きていたすずが、選択肢の先に周作の隣という「わたし」の居場所を、見つけ出す物語だったのである。 そして同時に周作がすずを見つけ出す物語でもあったのだ。

ここまで2つの章に分けてこの作品の魅力を考察してきた。明日、劇場版アニメーションの方もチェックしようと思うので、そちらの内容も踏まえてまた追記したいと思います。

参考:映画『この世界の片隅に』がリンさんを描かなかった理由とは?

今を生きるすべての人にお勧めしたい、素晴らしい作品でした。

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